こんにちは。福島担当の山中です。
10月20日(金)に、「みんぷく(みんなが復興の主役)」がJPFの共に生きるファンドの助成事業として行う「いわき~ふたばネット」というネットワークにて、支援者向けの心のケア、ストレスマネージメント、コミュニケーションスキルアップ、ケーススタディーの研修が行われました。これはJPFが復興庁から委託を受けている復興庁コーディネーター事業の一環として行われており、地域ネットワーク体の基盤強化と支援者のキャパシティービルディング、住民のエンパワーメントが目的です。
「みんぷく」は、立ち上げ当初からJPFが共に生きるファンド等を通じて支援している、いわき浜通りで、被災者支援を行うNPOのネットワークを形成する団体です。これまで、仮設住宅、地域コミュニティの支援を行いながら、複数の支援団体を取りまとめてきました。現在は県の委託事業として福島第一原発事故に関する特別措置法によって建てられた復興公営住宅の住民に対して、コミュニティ交流員を配置して、原発事故により被災し避難生活を続ける住民の支援を行っています。またJPFの共に生きるファンドにて、災害救助法による災害公営住宅の津波被災者に対して、自治会支援を行いながら複数の支援団体を取りまとめて支援活動の調整を行っています。みんぷくの関係するネットワークへの参加団体はおよそ70団体です。いわきは浜通りの広域津波被災者を抱え、双葉8町村からの原発事故避難者をもっとも多く抱える地域であり、住民との軋轢などの課題も多く存在します。
今回研修をお願いした白石先生は、震災直後JPFとも関係のある「JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)」という日本で最初のNGOから釜石にカウンセラーとして派遣されていました。また岩手の遠野や福島の中通りや山形で、支援活動を行うスタッフに対して同様の研修を行ってきました。これまでに福島浜通りのいわきでも、「みんぷく」や小名浜の「ザ・ピープル」という団体に対して数回にわたり研修を行ってきました。最近ではいわきの「いのちの電話」の支援員にも研修を行っています。
今回の研修のきっかけは、宮城で応急仮設住宅や災害公営住宅の支援を行うスタッフや団体に対して、後方支援や研修事業を行っている「宮城県社会福祉士会」との情報交換会で打ち出されたニーズに対応するものであります。情報交換の中で、「みんぷく」ではコミュニティ交流員への対人支援の研修を行うにあたり、外から有名な方を招いて研修プログラムをやりたくても費用が高くて難しい等の課題が挙げられました。また、「いわき~ふたばネット」の中でも、今や支援者の支援疲れが顕著になり、グループ内の人間関係もギクシャクしたり、トゲトゲしたりしてきているので、支援者向けの心のケア、ストレスマネージメントの研修が必要との声がありました。
こうした状況を背景に今回の研修が行われました。いわき市や浜通り双葉郡で、応急仮設住宅や復興公営住宅、災害公営住宅などを対象に支援活動を展開しているNPOスタッフや、コミュニティ交流員を中心に20名ほどの参加がありました。
研修では、まず支援者の心を癒す研修。スキャニングといって頭の上から足先まで自分の体の中を探って行き、痛いところ、弱いところなどを探っていきます。それを絵に描いて、何人かで隣の人に回していきます。受け取った絵にみんなでそれぞれ手を加えていくと、最後に元に戻った時、おもしろい、不思議な、素敵な絵に仕上がっていきます。それぞれの絵について、みんなそれぞれ説明するのですが、私の苦しみをみんなが癒してくれた、私の痛みをみんなが温めてくれたなどの意見が相次ぎました。不思議と肩や首、腰の痛みが本当に消えたという話もありました。
次にはコミュ二ケーションスキルについて学びました。繰り返し、ペーシング、相手の深みに留まること、肯定の声掛けなどについて学びました。そして釜石での実際のケースやいわきで想定されるケースを用いてコミュニケーションのトレーニングを行いました。
参加者からは
・実際のワークでみんなに支えられていることが分かり、心が癒された。
・誉める、誉められることにこんなに効果があるなんて驚いた。
・すごく楽しい研修だった。毎週でも受けたい。
などの声が多数きかれました。
今回様々な支援関係者が影響しあって実現できたプログラムですが、JPFは復興庁コーディネーター事業の一環で今後もこうした研修を引き続き行っていきたいと思います。
ジャパン・プラットフォーム(JPF)
山中
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福島県南相馬市小高区の<最近の様子>
皆さん、こんにちは。
JPFプログラム・コーディネーター(福島担当)の池座です。
今回は、海・山・川の自然の豊かさがあり、神社をはじめ歴史が感じられ、魅力的な人たちに出会える、福島県南相馬市小高区の「最近の様子」をお伝えしたいと思います。一度は行かれたことのある方も多い場所ではないでしょうか。
小高区は、今から約1年と3ヶ月前の2016年7月12日に避難指示解除およびJR小高駅の再開を果たし、その後、人口が数百人、1000人、1500人、2000人と徐々に戻りはじめ、2017年9月末時点で約2200人※(震災前は約12800人)を超える人々が暮らしています。※http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/10,853,58,html
〜若者の姿が見られるようになりました〜
とくに最近の目に見える変化としては、街に多くの若者の姿が見られるようになったことです。今年の4月に幼稚園、小学校、中学校が再開し、高校も開校して以来、小高駅から学校までの間の道のりをふざけ合いながら通学していたり、途中の食堂の前で並んでいたり、グラウンドで部活動に励む学生の姿を見ると、なんだか嬉しい気持ちになります。
▲小高駅前で電車やバスを待つ高校生たち
〜双葉食堂+お寿司屋さん、お蕎麦屋さん、居酒屋さん〜
食べる場所も、発災後はじめてオープンした双葉食堂に続き、お蕎麦屋さん、お寿司屋さん、居酒屋さんもオープンし、外食を楽しむ場所も少しずつ増えてきています!
▲地元の方が“とても美味しい”と言っていた浦島鮨
【参考情報】
浦島鮨
https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7001282/dtlrvwlst/COND-0/smp1/D-visit/?lc=0&rvw_part=all
双葉食堂
https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7005353/dtlrvwlst/COND-0/smp1/D-visit/?lc=0&rvw_part=all
十割そば こごた https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7007906/
居酒屋 更紗(さらさ)https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7014034/
〜エンガワ商店+コンビニも〜
食材やお弁当、生活備品・雑貨などを買いたい時は、南相馬市と地元企業(ワーカーズベース)によって駅前に設置・運営されている仮設スーパー「東町エンガワ商店」がオススメです。昨年秋にはローソン小高店、ファミリーマート小高店がオープンし、買い物をする際の選択肢も広がってきています。
▲東町エンガワ商店街(外にベンチが設置されました)
【参考情報】
東町エンガワ商店街(小高ワーカーズベース)http://owb.jp/projects/engawastore/
ローソン小高店(福島民友)
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/10/post_14338.html
〜双葉屋旅館+ゲストハウスが出来るかも?〜
地域外から来られる人にとって重要な泊まる場所ですが、小高区を訪れる人にとって、宿泊場所として真っ先に思い浮かぶのは小高駅前にある双葉屋旅館ではないでしょうか。小林さんご夫婦で営むこの旅館は、小高区で宿泊できる貴重な場所であることは言うまでもありませんが、そのほかに地域の情報を得ることができ、地元の人や地域内外、海外からの訪問者に至るまで小高を想う多くの人々が出会い繋がり合う拠点としても大活躍しています!
▲双葉屋旅館
双葉屋旅館の他にも、小高でゲストハウスをつくりたい!という方もいるとかいないとか!?
【参考情報】
双葉屋旅館 http://odaka-futabaya.com/
〜小高の女性に魅力的な職場 HARIOランプワークファクトリー小高〜
全国のガラス職人が手づくりで作ったガラスのアクセサリーを全国的に販売しているHARIOランプワークファクトリー社と小高の地元企業(小高ワーカーズベース)が協力し合い設立した『HARIOランプワークファクトリー小高』。ガラスごしに外からも工房での作品制作の現場を見ることができ、商品を購入することができます。地元の女性に魅力的な仕事と働きやすい環境を創出することを目指し設立されたとてもオシャレなお店です。
▲HARIOランプワークファクトリー小高
▲小高に100の仕事を興すことを目指す「小高ワーカーズベース」本社
〜住民+よそ者、若者、ばか者?が集まる 新生おだかぷらっとほーむ〜
小高の暮らしをより楽しいものにするために小高の女性3人が中心となり2015年秋に立ち上がった“誰でもぷらっと立ち寄れる家” 「おだかぷらっとほーむ」。ここは、「地元で暮らす人」「一時帰宅する人」「還ってくることを検討している人」「お墓まいりにくる人」「小高に観光や興味をもってくれて来てくれる人」「支援・応援に駆けつけてくれる人」などを対象に、小高に来た時にいつでも立ち寄れるところがある、誰でも気軽にぷらっと立ち寄れ、住民、若者、ばか者と触れ合い、楽しいこと、必要なことが生まれてくる、そんな願いでつくられた場所です。ちちらも、最近、(近くではありますが)引越しをし生まれ変わりました!
▲新しい「おだかぷらっとほーむ」(運営主体:小高工房)
おだかぷらっとほーむでは、発足以来、月に1回、第4金曜日の13時〜15時あたりに、住民組織や南相馬市内でサロン活動や環境保全活動を実施する団体や、その他県内外から小高を応援する関係者が集まり、情報交換をする「おだかぷらっとほーむ定例会議」を実施しています。(どなたでも参加可能)
▲設立以来、小高に関わる人たちが毎月集まり情報交換する定例会議の様子
定例会議のプログラム構成や話し合われる内容も、小高の環境の変化により変わってきています。これまで2時間ほどの情報交換の場であった定例会議ですが、最近では、重要なテーマに関して興味のある人で深掘りして話し合う時間も加わりました!
例えば、9月22日に開催された前回の定例会議では、「4月に避難指示解除になった隣町の浪江町でぷらっとほーむの様な場をつくりたいが、小高のネットワークの経験・知見をうまく移行できないか」「Uターン者・移住者が少し見えてきたが、もっと多くいる可能性があり、どう新しい人たちと繋がり合えるか」などが話し合われました。
▲県外からの学生や移住者も交え、皆で移住定住に関して意見を交わし合う
夕方からは、移住者を交えた小高に関わる人同士の交流会(BBQ・芋煮会の様なもの)を実施し、街に賑わいをつくり、誰でも気軽に立ち寄れる場を試行的につくることになりました。交流会の準備から皆んなで楽しく協力しながら行うことで、さらなる交流の効果が期待されます!(大変過ぎると続かなくなる不安も感じながら・・・笑) 今回のメインディッシュである「大蛇巻き」にみなで挑戦!昭和61年に小高で住民約2500人が集まり842メートルのジャンボのり巻きづくりに挑戦した記憶から、今回の企画が浮上したらしい。(ギネスブックに掲載されたかは不明・・・)
▲交流会に向け、小高の歴史にまつわる「大蛇」をモチーフにした手巻きすしづくりの様子
夜は、大蛇のり巻きを頂きながら、外で焼き鳥を焼く人や、ギターを弾きながら歌う人や、部屋の中で議論を重ね合う人など、思いおもいの交流がうまれていました!
▲夕方からの第1回交流会。BBQをしながら移住者やボランティアに来た学生が音楽を楽しむ様子。
【参考情報】
おだかぷらっとほーむ
http://3bplus1-odaka.jp/(おだかぷらっとほーむHP)
https://www.facebook.com/3bplus1/(おだかぷらっとほーむFacebook)
https://mainichi.jp/articles/20170619/ddl/k39/070/345000c(毎日新聞)
小高では少しずつではありますが、学校の再開や、お店や事業所の開設、Uターン者・移住者の増加、地域住民の大きな課題となってきた調剤薬局の不在(病院で処方箋をもらっても薬を得る場所がない)が解消されるなど、徐々にではありますがポジティブな動きも生まれてきています。(新聞の配達サービスがないなど課題は残ってはいますが)
ぜひ、一度行ってみたい!久しぶりに行ってみたい人はお気軽にご連絡ください♪
以上、ほんの一部分ではありますが、地域コーディネーターから見た最近の小高の子をお伝えしました。
JPF 地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
池座
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http://www.japanplatform.org/
2017年夏のイベント
今年の夏休みはほとんどの時間を費やして、仙台社宅の整理整頓を行いました。わずか二年半の間に増え続けた資料や荷物の山は凄まじいもので、断捨離(だんしゃり)の研修でも参加しない限りとても終わらないと思われるほどでした。自分に甘い言い訳をすれば、優しくおっとりとした私の性格が、「断」「捨」「離」のどれからも遠い存在にあるため思い出の品々が自然に心地よく私の部屋に居座ってしまうのだと理解しています。
そんな合い間を縫って、今年の夏は「祭時山(まつるべやま)・縄文焔(ほのお)祀(まつ)り」と「いわき放射能市民測定室たらちね海洋調査」の2つのイベントに参加させていただきました。
「祭時山・縄文焔祀り~太古の眠りから目覚めた縄文の神々を称える焔の祀り~」には、私の20年来の友人であるアイヌの長老、浦川治造さんの招きで参加しました。浦川さんからはいつもの調子で「この日、空いてる?阿久津さんにどうしても来てもらいたいんだけど…。」「(岩手県)一関の山の中でアイヌや縄文時代人につながる遺跡が見つかったんだ。俺がそのまつり(アイヌ祈りの儀式)でお祓いをやる(祭主)から見に来てくれ…。」という電話でした。いつものように子どものような人懐っこい目でいくぶん興奮してしゃべる映像が浦川さんの朴訥とした言葉から届いてきたので、「(浦川さんの頼みなら)それじゃあ、行くか」という感じで参加を決めました。アイヌの精霊が宿る神聖な儀式は、さすがの迫力で浦川さんの「自然と調和した生き様」が私にも伝わってきました。その模様は、翌日のNHKニュースでも流れたそうです。また、浦川さんの味のある人間像についてはNHKオンデマンド Eテレ「こころの時代~アイヌ ネノ アン アイヌ 人間らしい人間 アイヌの長老浦川治造さん」をご参照いただければ、幸いです。
浦川治造さんと一緒にいると不思議なことがいっぱい起こるのですが、今回も面白い出会いや再会がたくさんありました。一人は宿泊先となった「祭時温泉 別邸 かみくら」の女将。著名な元代議士の娘だそうですが利発で優雅な動きは特別で、岩手の山奥にある秘湯できれいな素晴らしい温泉ですので、良かったらお訪ね下さい。もう一人は浦川治造さんの友人で元朝日新聞記者の増子義久氏。記者を引退されてから郷土へ恩返ししたいと花巻市議会議員をされている方ですが、文章力は健在で「イーハトーブ通信」という彼のブログでも「縄文焔祀り」について書かれていますので、是非ご一読ください(http://samidare.jp/masuko/note?p=list&page=2&c=&w=)。そして、もう一人は、浦川さんの実姉の宇梶静江さんです。性格派俳優、宇梶剛士(たかし)さんの実母で、自然と共に生きるアイヌの詩人・絵本作家との再会です。ちなみに、若い頃やんちゃをしていた剛士さんを締め上げて更生させたのは叔父の浦川治造さんだそうです。
上記写真はいずれも(c)JPF
がらっと話が変わって、もう一つ、私が参加した重要なイベントが「認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね」の海洋調査です。最初は趣味の釣りができるからと気軽に「ボランティア釣り師」として参加したのですが、とても意義のある重要な海洋調査でした。
(c)たらちね
海洋調査の第一の作業は、海水の採取です。(c)たらちね
専門家のご指示のもと、少なくとも表面に近い部分の海水と海底に近い部分の海水の2種類の採取を試みていたことが後でわかりました。何度も何度もやり直しているので、「釣り師」の私としては「早く釣らせてくれ…」との心の叫びを押さえつつ作業を見守っていたのですが、潮が速くて通常の重りでは海水採取のための白いバケツのような容器を海底まで沈めることができなかったため、何度もやり直していたようです。結局、この日は海底付近の海水の採取はできませんでした。
海洋調査の第二の作業は、専門家の先生から指定された魚種を釣る作業です。いよいよボランティア釣り師である私の出番です。専門家の先生からのご指示は、ヒラメ(2011年3月11日の原発事故以前から生息しているものであれば調査研究対象としてなお良い。80cm以上の7年物になります!)、黒ソイ、アイナメ、カサゴ、メバル、カレイなどでした。ヒラメを追っかけて20年以上の私でも、まだ、80㎝以上のヒラメは釣ったことがありません。福島第一原発からほど近い領域では現在、漁はされていませんから、魚影の濃さは言うまでもありません。ヒラメが釣れた時のことを想像するだけで興奮して手が震えるほどです。
釣りが始まって、5分もしないうちに私の竿がしなって、運よく黒ソイが釣れました。船中ではじめての釣果だったので、鈴木譲東京大学名誉教授が飛んで来て、自ら魚をはずそうとしていました。専門家の先生方の意気込みも伝わってきます。黒ソイは、アイナメやメバルなどと一緒に岩陰や海藻の中に隠れていて、小魚やアサリなどが上から落下してくると素早く岩陰などから飛び出して、エサに飛びつき、次の瞬間、エサを咥えたまま体を反転させて、もと居た岩陰などに戻ろうとします。その時、大きく竿を合わせると魚が釣れるのです。これが私の釣り上げた黒ソイです。(c)JPF
指示された魚種を早々と釣り上げた私は、いよいよ本命のヒラメを狙うため、まず、生きたエサとなる、アジやイワシを釣りにかかりました。ところが何度も釣り場所を移動して、あの手この手で、待てど暮らせど、エサが釣れません。こりゃ困ったなあと思案しているうちにアジやイワシの5倍以上の大きさのイナダが釣れてしまいました。回遊魚なので私だけでなく、あちこちで一斉にイナダが釣り上げられています。イナダはブリの子どもで、大きくなるのに合わせて名前が、ワカシ(15cm以内)、イナダ(40cm以内)、ワラサ(60cm以内)、ブリ(80cm以上)と変わる出世魚で、縁起の良い魚なのですが、アジやイワシを狙っている私には迷惑な魚です。なぜなら、イナダでは大きすぎてヒラメのエサにはならないからです。
そうこうしている内に海が荒れて来て、この日の釣りは悔しさを残しながら終了となりました。私には釣れませんでしたが、仲間のボランティア釣り師の方が、専門家の先生が期待されていた80cm近くのヒラメを疑似エサのルアーで釣り上げていました。(c)たらちね
(c)JPF
腕の差ですかね、うらやましいです。それでも、港に引き上げた直後に雷が鳴りザーッと夕立に見舞われたので、その前に引き返せた私たちは幸運と言えば幸運でした。その後は選手交代で、JPF地域事業部の坂巻と斎藤が、たらちねの事務所で合流して釣り上げられた魚の放射能測定調査の視察を致しました。(c)JPF
(c)JPF
今回の魚のガンマ線測定の結果については「いわき放射能市民測定室たらちね」のホームページに掲載されています。
JPF 地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
阿久津幸彦
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6年間に思いを巡らせながら夜空を見上げた日
こんにちは。福島担当の山中です。
福島県浜通り双葉郡では昨年から今年度にかけて避難指示解除がたて続けに行われ、それに伴い伝統的な夏祭りや花火大会も浜通り沿岸部を中心に開催されることが多くなっています。今年のお盆にも、川内村、富岡、浪江等で夏祭り、盆踊り、花火大会が開催されました。私も富岡の花火大会に参加しましたが、県外や県内の内陸部にある避難先の遠方から車で来られている方も多く、それぞれのこれまでの6年間に思いを巡らせながら故郷の夜空を見上げているようでした。
津波の被害だけでなく、放射能と除染、汚染物処理という課題を克服しなければならなかった福島県浜通り沿岸部の土地も様々な様相を見せてきました。
▲東日本大震災地震津波の被害を受けた富岡駅周辺の風景 (c)JPF
一時は放射能汚染物質減容焼却炉や仮置き場で埋め尽くされることもありました。
▲避難指示解除準備に向けて設置された仮設の放射能汚染物質減容焼却炉 (c)JPF
▲除染された放射能汚染物質を入れた袋を並べた仮置き場 (c)JPF
もうずっとこのまま、この殺風景な景色のままなのだろうかと思ったこともありました。
ようやく6年半たって、何とか花火が上がっても違和感のない景色になりました。
▲富岡の花火大会 3月11日撮影(c)JPF
しかし、帰還率はまだまだです。例えば富岡の帰還率はわずか約1%とも報じられています。年間20mSv(ミリシーベルト)という基準で避難指示が解除されたために、線量がいまだに高い地域も残っており、若い世代の役場職員をはじめ殆どの人は郡山等から通ってきています。冬になると雪で峠の道もさらに険しくなり、通勤の過労や事故も懸念されています。帰還者の殆どは高齢者が中心とも言われており様々な課題が浮き彫りになってきています。外から富岡や浪江の復興のために貢献したいと働き盛りの若者が思っても、家賃や物価が東京並みに高く、住めるのは廃炉、除染関係者だけという状態が続いています。
ようやく祭りや花火ができるようになり、復興のスタートラインに立った浜通り沿岸部の相双地域ですが、課題は山積みです。一方で課題先進地域とも言われ、一度に日本中、世界中の課題が集約されたこの場所で、それに立ち向かう取り組みが今後の日本の変革に寄与していくという思いで活動されている方々も一定数いらっしゃいます。そうした方々を疲弊させ、孤立させてしまわないように、持続可能性を担保するために新たな連携の枠組み、仕組み作りが求められています。JPFの地域担当もそうした動きに対して前に出ることなく、後から支えていけるよう一層努力していきたいと思います。
地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
山中
ジャパン・プラットフォーム(JPF)本サイト
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熊本出張こぼれ話1
こんにちは。地域事業部の坂巻です。
JPF熊本地震被害者支援(九州地方広域災害被災者支援) 事業の業務で、毎月2回くらい東京事務局から熊本市に出張しています。
震災から1年が過ぎた熊本市では、城は20年間におよぶ復元工事が進んでいますが、市内にはまだ半壊のままとなっている建物が残っています。熊本城
熊本市唐人町
でも目につくのは、震災の影響を受けた建物ばかりではないんですよ。
そこで今回のブログでは、熊本の風景から感じたこと・調べてみたことをお話します。
熊本市をまわっていると、立派な建物の眼科、歯科、精神科などの単科医院の看板も目につきます。
水前寺あたりの医院の広告
?と思い調べてみると、なんと熊本市は政令指定都市20市中、人口10万人あたり病床数が1710.4床、医師数が321.3人と第1位(出典:熊本市市勢要覧2015 P33)。
そこで、熊本市の中心である中央区と面積、人口密度が似ている横浜市緑区と比較してみました(出典:日本医師会 地域医療情報システム http://jmap.jp/cities/detail/city/43101)。
熊本市中央区と横浜市緑区の10万人あたりの数を比較すると、熊本市中央区は病院数が約5倍、一般診療所病床数が約12倍、精神病床数は約13倍、病院病床数は3倍、医師数は約5倍、歯科医師数は約2倍です。なるほど医院・病院が目に付いた訳です。
しかも立派な入院設備がある眼科とか歯科医院が多いんですよ。レストランかウェディング場かと間違うような素敵な建物。
熊本市中央区呉服町の眼科(病床19)
熊本市中央区子飼本町の眼科口腔病院(病床24)
熊本市中央区水前寺の皮膚科医院(入院設備なし)
ジャパン・プラットフォーム(JPF)は、復興に向けて歩み続ける熊本への伴走をまだまだ続けていきます。東京から熊本への出張も続く予定です。
でも、これだけ医療が充実している熊本でなら、「いざとなったら入院してもいいかなあ」なんて考えてしまいました。
地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
坂巻
※写真はすべて(c)JPF
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豪華絢爛!仙台の七夕まつりはまもなくです
こんにちは。東北事務所の今野です。
東北事務所は、杜の都・仙台を象徴する並木道の一つ定禅寺通りに面したビルにあります。
春は青葉まつり、夏は七夕まつり、秋はジャズフェス、冬は光のページェントなどイベントが開催され、事務所の窓から楽しむことができます。写真提供:(C)仙台七夕まつり協賛会
その中で歴史が古い仙台七夕まつりが来週(8月6日・7日・8日)、開催されます。
「仙台七夕まつり協賛会」のウェブサイトによると、仙台七夕は、伊達政宗公の時代から続く伝統行事として受け継がれているそうです。
笹飾り、パレード、踊り、グルメなどが楽しめ、多くの人が集まるお祭りなんですよ。
とりわけ、仙台駅前からの中央通りと一番町通りのアーケード街の笹飾りは豪華絢爛です!
しかし残念な事に、震災前までおこなわれていた動く七夕パレードと、昨年までおこなわれていた天の川回廊が、今年は定禅寺通りでおこなわれないそうです。
事務所の窓から見るのを楽しみにしていただけに残念。
写真提供:(C)仙台七夕まつり協賛会
一方、仙台の郊外でも素朴な笹飾りで七夕を楽しんでいる商店街が多くあります。
私の地元の小さな街では、小さな笹飾りをおよそ2m間隔で約800mにわたって飾り、街ゆく人たちを楽しませてくれます。
その風景は、仙台七夕まつり協賛会のHPでも見つけました。
こちらの写真です↓↓。かわいいでしょ。
http://www.sendaitanabata.com/outline/feature
最後に一つ願いごと。
七夕まつりの期間は、1回は雨が降ることが多く、和紙の吹き流しが色落ちしたり他の飾りも型崩れしたりするので、作ってくれた人や見に来てくれた人がかわいそうになってしまいます。
今年は雨が降りませんように。
地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
今野
ジャパン・プラットフォーム(JPF)本サイト http://www.japanplatform.org/
多くの方からお寄せいただいた寄付を適切に活用させていただくために
こんにちは!東京事務所の川村です。
暑い日が続いていますね~。
夏本番はこれから、仙台から引っ越してきた私は
もう仙台の涼しい夏が恋しいです。
さて、今回は、「共に生きる」ファンドの助成事業が終了した後の
会計報告の手続きについてご紹介したいと思います。
ご寄付などを通してご支援くださった皆さんや助成を受けた団体の皆さんも
あまりご存じないのではないかと思います。
「共に生きる」ファンドで助成した事業が終了すると、
助成を受けて事業を行った団体さんから2種類の報告書を
提出していただきます。
ひとつは事業の内容について記載する事業終了報告書、
そしてもうひとつは助成金を充当した支出についての会計報告書です。
この会計報告書では、
助成決定時に助成金を何にどのくらい使用したかの支出一覧と
その証憑(領収書や契約書など)も全て提出していただき、
外部審査員による審査を経て決定した事業の予算に沿って、
適切に使用されたか、その使途や支出方法はJPFの定めるガイドラインに
沿っていたかを確認しています。
※留意点をまとめた会計ガイドライン(c)JPF
この確認作業を一緒に担当してくださるのが
太陽有限責任監査法人の皆さんです。
助成団体から提出された会計書類一式を、
プロの目で確認してくださっています。
順次届く報告書を月1回のペースで確認しています。
「提出された証憑は1件1件全て拝見しております。
経理のマンパワーが少ない団体さんもいらっしゃると思うので、
経理書類の作成は大変な作業だと思います。
継続して助成を受けている団体さんは、回を重ねるごとに改善が見られ、
会計報告もしっかりしてきていると感じています。
適切な会計報告をすることは、団体としてもよりよい形で説明責任を
果たすことにつながると思います。」と小林さん。
※7月の確認作業の様子。左奥が小林さん。(c)JPF
この後、疑問点や修正が必要と思われる点をまとめて、
団体にフィードバックします。
何度かのやりとりを経て、最終的な助成金充当額を決定し、
残金があれば返却していただきます。確認の過程で、
団体の会計処理について改善した方がいいなと思う点があれば、
それもお伝えするようにしています。
具体的には、支出の記録の取り方や証憑の整理、
人件費の支払いに係る契約や
勤務記録に関することなどです。
大量の証憑を確認するのは正確さを求められ、根気のいる作業ですが、
多くの方からお寄せいただいた大切な資金が適切に活用されているかを
確認するため、また、「共に生きるファンド」の助成を通じて
団体の会計処理の力づけに繋がればという想いで取り組んでいます。
地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
川村
ジャパン・プラットフォーム(JPF)本サイト http://www.japanplatform.org/