ジャパン・プラットフォーム(JPF) 公式ブログ

緊急人道支援組織、認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)のブログ。NGO・経済界(経団連、企業など)・政府(外務省など)が連携し、国内外の緊急人道支援を実施。寄付金・募金受付中。

地域事業部部長就任のごあいさつ

皆さま
この度、ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部の部長に就任しました池座と申します。

■経歴と原点
これまでの約6年と数ヶ月の間、私は宮城県、福島県に駐在しながら、JPF及び連携団体であるJCN(東日本大震災支援全国ネットワーク)にて地域コーディネーター及びコーディネーター統括として被災地域に関わってきました。

東日本大震災の前は、学生の時に日本とアメリカにて国際環境・人権NGOに関わりはじめ、社会人になりIT関係の事業を自ら運営し週末は仲間とお米づくりや田舎・都市との交流促進を行う傍ら、路上生活者等の生活困窮者へのサポートをしておりました。こういった活動に関わっているのは「NPOや市民活動が好きで社会的に○○したい!」という動機ではなく、「何で人が普通に暮らせない世界が存在しているのだろう?」という幼少時代からのシンプルな疑問、感情がおそらく原点ではないかと考えています。

■新たな立場で大切にしていきたいこと
この度、2018年1月1日より、様々な葛藤を経ながらもJPF地域事業部の部長に就任することになりました。就任にあたり、東北の被災地域だけでなく九州や今後の広域大規模災害を含め、より広い範囲に目を向ける管理職の責務を負う立場になります。

上述の「葛藤」の大きな部分は、東北にこれまで関わってきた自分自身の「本来的な精神」や意義が失われ、傲慢ではありますが、1コーディネーターの東北へのサポート量が微力ながらも減ってしまう、という懸念からでした。

これまで私が東北に関わる上での本来的な精神・信条は「現場・住民・団体の声や状況を基本とし、課題解決に向けて彼女・彼らと共に考え行動していく」というものでした。そして、この葛藤期に様々な関係者や新潟にいる家族とも幾度となく話し合いを重ね、以下のような結論、決心に至りました。
(1)本来的な精神を崩さず、地域駐在員と共に東北(福島)に駐在し続ける
(2)現場の精神・状況をJPF、関係企業・団体に伝え、還元していく
(3)JPFスタッフ同士や他団体ともこれまで以上に連携をはかり、被災地域の課題解決に向けたサポートの質・量を向上させる

■JPF地域事業部としての方針
岩手・宮城県に関しては、残された諸課題(震災により加速化した移動困難者・生活困窮者・地域経済の急激な鈍化及び人材流出など)の解決に向けて、持続的な支援を可能とする組織基盤の強化及び団体同士のネットワーク化をサポートしてまいります。

また、福島県では、昨年大規模な避難指示解除がなされましたが、市町村民の心・想いの置きどころや生活面での困難さなどが、より厳しく複雑な形で襲ってきていると認識しています。(例:避難解除地域のインフラ不整備及び移動困難、仮設住宅及び復興住宅における孤独・孤立・生活困窮、事故の責任所在の不明確さ、放射能リスクの医療的見解の曖昧さ、放射能への不安や不安を周囲に表明しにくい中で生活をする葛藤、経済負担の少ない保養プログラムの減少、子どもの抱える複雑な想い、福島で起きていることの社会的忘却に対する悲しみなど)

こうした山積する課題解決に向けて、地域事業部としては、他の関係組織と連携しながら、避難している人、帰還した人、拠点居住を送る人、放射能へ不安を抱える人、不安なく生活する(と言及する)人など、各々の持つ価値観選択を等しく尊重し、団体への助成サポート、団体同士のネットワーク化のサポート、持続可能な活動継続を目指した組織基盤の強化サポートをおこなっていきます。

熊本地震においては4月で3年目を迎えますが、熊本県を中心に、仮設住宅から自立再建、災害公営住宅の生活へのスムーズな移行を地元の団体やネットワークと一緒に継続していく予定です。

■さいごに
以上、長文となりましたが、これから新しい立場で、東北・九州および将来起こりえる被災地域の復興に少しでも寄与できればと願っております。

若輩者ではありますが、どうぞ引き続きご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

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▲米沢の助成先団体を訪問した際に米沢駅前にて(C)JPF

ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部
池座 剛

▼ジャパン・プラットフォーム(JPF)本サイトはこちら

www.japanplatform.org

「熊本復興支援に必要な力を身につける活動研修事業」について、お知らせします。

ジャパン・プラットフォーム(JPF)は、熊本地震の支援を続ける団体やグループの皆様が今後の活動に活かせるヒントを得ていただくため、過去の被災地に学ぶ視察研修事業を実施しています。夏から続いていた視察ですが、地域事業部熊本担当が、10月の終わりから11月初めにかけてそのうちの3団体に視察同行いたしましたので、その一部を紹介します。

■2017年10月27~29日(宮城県編:石巻-仙台行ったり来たり旅)
10月27日
熊本大学の学生の災害支援サークル、「災害ボランティアサークル sunflower」の5名の視察で、仙台にある「みやぎ心のケアセンター」へ同行しました。
代表で参加した5名ですが、サークルの熊本地震支援では、仮設住宅に訪問し、子どもたちとの遊びを通した支援を続けています。彼らにとっても初めての大規模で長期の災害対応なため、地震の恐怖やガラッと変わった仮設住宅での生活に戸惑う子どもたちへの接し方に悩んでいました。
「みやぎ心のケアセンターの企画研究部長、福地医師からは、経験に基づいた、しかも専門的なアドバイスをたくさんいただき、スポンジが水を吸うように彼らに浸透していっているのがわかりました。
「もっと話を聞きたい!」「もっと勉強したい!」ということで、来月に2つの研修を受ける計画を進めています。

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▲みやぎ心のケアセンターで話を聞く熊本大学の学生さんたち(C)JPF

一つは、(公財)日本ユニセフ協会(以下「ユニセフ」)と(国研)国立精神・神経医療研究センターが共同制作した「子どもにやさしい空間(CFS)」という研修です。災害や紛争の影響を受けている子どもたちが安全に安心して過ごすことのできる“居場所”を確保し、学校や遊びなどの“日常”を提供する活動に役立つ内容です。
もう一つは、ユニセフと日本プレイセラピー協会の「遊びを通した子どもの心のケア」の研修。幼い子どもたちへの心をサポートし、子どもの自己回復力を助ける内容です。
それぞれの学校の勉強の合間に、半日の長い研修を受けることになりますが、彼らの「もっと子供の心を知りたい、わかりたい!」というキラキラした表情は、 “爽やかな風”が吹きわたったようでした。 

10月28日
熊本に引っ越し、働きだしてすぐに地震を経験した、松岡亮太さん率いる、「くまもと友救の会」。重機を操る一方で、仮設住宅にお住いの方からの小さな声も拾って、様々な支援をしています。3名が、石巻市北上町で移住型の就労支援、まちづくりを目指す一般社団法人イシノマキ・ファームを訪問しました。
素敵な古民家が事務所です。代表の高橋由佳さんより、米作りが主だったこの土地に、ホップが自生していることがわかり、ホップを栽培し石巻では初のクラフトビール「巻風エール」ができたこと、また住民の皆さんに溶け込んで農業をすることの大切さ、などのお話を伺いました。松岡さんたちは、熊本でどんな計画を立てるのかな?
楽しみにしています!

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▲イシノマキ・ファームで高橋さんにお話を聞く(C)JPF

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▲「巻風エール」」と北上町のホップ(C)JPF

■11月3~5日(新潟県編:中越ぐるぐる旅)
宮城の次の週は、新潟です。村を横断する断層で全村避難した、西原村大切畑(おおぎりはた)地区の皆さんが、中越地震に学ぶ視察の同行です。大切畑地区は、ほぼすべての住宅が全壊しましたが、下敷きになった人は、住民たちの助け合いで全員が助かったそうです。熊本市のベッドタウンとして人口が増えてきた西原村でしたが、この地震で別の場所へ移ることを決めた住民も出てきており、今までのように顔が見え、助け合える地域づくりのヒントを得たいと、この視察に参加しました。

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▲田麦山集落で「いきいき田麦山」の皆さんにお話を聞く(C)JPF

2004年10月23日に起きた新潟県中越地震から、既に13年が経っていますが、新潟の山間地域、山古志の住民の皆さんのお話を聞くと、被災から今に至るまでの思いが質問を受ける時のどっしりとした重みのある姿勢や言葉に表れているようでした。
「自然」「伝統」「次世代」この3つがそろって、地域は息を吹き返すのだな、と感じました。地域で採れる農作物、錦鯉、闘牛、育っていく子どもたち。西原村の皆さんへは、「これからを担うあなたたち、若い人ばかりじゃないか。村を出ていく者は追うな。残った者だけなら意見はまとまりやすくなる。十分やれる。」と、“中越の長老”より“熊本の若人”への激励の言葉があり、勇気づけられたのではないかな、と皆さんの背中を見ながら感じました。

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▲11/14にJPFスタッフが訪れた、西原村大切畑地区

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▲ 住宅の庭先が崩れたままになっている

11月15日には、熊本市内で、視察に参加した14団体の報告と、今後の計画づくりのための研修が行われました。
詳しくは、JPFホームページの「熊本復興支援に必要な力を身につける活動研修事業」をご覧ください!
http://www.japanplatform.org/contents/kumamoto_workshop/

みなさんの今後の活躍が楽しみです。

地域事業部 斎藤
(2017年4月より、国内事業部から地域事業部へ部署名を変更しました)
 

はじめまして。藤原です。

はじめまして、8月1日からJPFで働いております、藤原です。

主に東北事務所を拠点に、福島県の避難指示解除地域における、地域づくりや特定の課題解決を行う団体のキャパシティービルディングやそれらの団体間ネットワークの基盤強化を行う復興庁コーディネート事業(以下、復興庁CDN事業)に従事しています。

ちなみに、JPFで働く以前は、国際色豊かなJPFとは全く違う、国内の地域づくりなどを行う、複数の非営利組織で働いており、東日本大震災前までは主に大阪、神戸、芦屋などの関西圏の中間支援NPOで働き、震災後は地元でもある宮城県の仙台や石巻などにある民間団体や行政機関で、復興支援団体の方々に対する支援や医療福祉介護施策に従事してまいりました。

■4年前と今の浜通り
8月から福島、特に浜通りでの事業に関わり、頻繁に浜通りに向かうと、沿岸部の避難指示解除地域では、長い間震災直後の崩れた家屋、忽然と人だけがいなくなった町並みだったところが、新たな造成現場になっている場所や、時折ですが、制服の学生が行きかう町並みになり、復興が進みつつある風景に変わってきています。この6年間、福島への関わりがほとんど無かった私としては
・いまだ多くの方が関わりながら除染作業が続いている事(完了した地域も多くあります)
・最近になりようやく復旧した国道がある事
・避難先から元の場所に戻るか、別の地を目指すかと言う決断は、避難されている方の個々人の境遇だけでなく、流動的な復興をめぐる環境や支援制度などの見通しなど、外部から見ている以上に、易々と判断できるものではない、複雑な状況に未だ多くの方がおられること
を知りました。

また、私の印象では『復興が進みつつある風景』と感じていますが、住民のある方は、
『3月12日以降の現在、何も変わっていないし、何も解決していない』とおっしゃられ、住民の方の心象風景には、そのように映っている方もいるということを、知りました。

■『つなぐこと』に重点を置いた支援
さて、私が関わっている復興庁CDN事業では、主に
①福島第一発電所事故に伴う避難指示が解除となった地域における住民や支援者のつながりや
②県域での震災由来の共通課題分野を取り扱う団体のつながり、ネットワークの形成支援
を行っています。

具体的には、ネットワークの中核を担う人材や集まり(ネットワークの組織体、ネットワーク体)への資金面・情報面での支援と事務所や会議などの『場』づくりを通じた
基盤整備(Capacity Building)を行っています。

復興庁の本事業の、ネットワーク体を支援する仕組みや施策は、私見ですが、珍しく、意欲的な取り組みであると感じており、この取り組みの結果は見えにくいものではあるものの、将来にわたり非常に意義深いものになると感じています。

今回の事業で支援や支援の予定をしている地理的ネットワークや課題別ネットワークは以下です。

◇地域ネットワーク
 ・おだかぷらっとほーむ(南相馬市小高地区)
 ・なみえぷらっとほーむ(仮)(浪江町)
 ・川内未来プロジェクト協議会(川内村)
 ・双葉郡未来会議(双葉郡全般)
 ・いわき~ふたばねっと(いわきから双葉郡にかけて)
 ・くらスタ(田村市都路)

◇分野ネットワーク
 ・心のケア
 ・生活困窮者
 ・避難指示解除
 ・子供の貧困

■避難指示解除地域の現在
JPFでは、南相馬市小高地区、浪江町、川内村、双葉郡をそれぞれ対象地区とする団体に、ネットワーク作りを主眼に置いた各地域でのコーディネーターを、計8人の方々にお願いしています。(コーディネーターをお願いしていないネットワーク体もあります。)

10月31日にコーディネーターを一同に会しての自由な意見交換会を開催し、避難指示解除後、“地域づくり”を行う皆さんの現状の思いや課題、将来に対する見通しなどをうかがいました。(8人中7人参加) 

避難指示が解除され、“帰還”が可能になったと言えますが、人口面や経済面は、避難前と大きく違い、個々人の生活の在り方やコミュニティの形成などを一から考え直し、
作っていかなくてはいけない状況です。

地域により状況は異なりますが、帰還された方は、
 ・避難前の人口の1割以下しか帰還民がいない地域
 ・若年の家族に通院や買い物を支えられていた家族の、年配者の方だけの帰還
 ・見知っている人が見当たらない地域
など、各地域共通する地域の状況が話に上り、今進んでいる“帰還”とは、昔住んでいた“場所”としての帰還であり、“生活の場”としては、まったく別の場所に帰還されたようにも、私には映りました。

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■地域のコーディネーターが今、考えていること、悩んでいること

その中、コーディネーターの方々は、帰還された方のコミュニケーションの場づくりや、帰還を思い悩んでいる方への地域の現状を伝える役割、震災をきっかけに移住を考える方への支援など、新たなコミュニティづくりに向け活動や活動に取り組むネットワークづくりを行っています。

個々のネットワークにおける活動内容等については、今後紹介させていただくこととして、今回の意見交換会では、
・“人口の回復”を目標値とする復興の区切りに対する疑問や提案
・“集落”で構成されてきたコミュニティと町や村という行政区画単位で考えられているコミュニティ再生計画とのズレについて
・“移住”や“交流人口”を増やしたいが、居住・宿泊などの住宅ストック活用が上手く進んでおらず、ミスマッチが生じていること
・安心して暮らせる地域に戻りつつあるものの、避難されている方や遠方の方々の持つ、震災直後に広まった、避難指示地域の“暗い”イメージ(治安の悪化など)が払しょくできないでいる
など、これからコーディネーターの方々の踏ん張りどころとなる内容から、住民や行政などと協働しながら切り拓いていかなくてはいけない内容など、コーディネーターの皆さんが抱かれている様々な思いや課題が共有されました。

私をはじめ、JPF福島担当は、今後も復興庁CDN事業を通じ、コーディネーターの方々の抱える課題解決やアイディアの実現を伴走型で支援していきます。

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JPF地域事業部
藤原


支援者向け研修で心のケア

   こんにちは。福島担当の山中です。

   10月20日(金)に、「みんぷく(みんなが復興の主役)」がJPFの共に生きるファンドの助成事業として行う「いわき~ふたばネット」というネットワークにて、支援者向けの心のケア、ストレスマネージメント、コミュニケーションスキルアップ、ケーススタディーの研修が行われました。これはJPFが復興庁から委託を受けている復興庁コーディネーター事業の一環として行われており、地域ネットワーク体の基盤強化と支援者のキャパシティービルディング、住民のエンパワーメントが目的です。

   「みんぷく」は、立ち上げ当初からJPFが共に生きるファンド等を通じて支援している、いわき浜通りで、被災者支援を行うNPOのネットワークを形成する団体です。これまで、仮設住宅、地域コミュニティの支援を行いながら、複数の支援団体を取りまとめてきました。現在は県の委託事業として福島第一原発事故に関する特別措置法によって建てられた復興公営住宅の住民に対して、コミュニティ交流員を配置して、原発事故により被災し避難生活を続ける住民の支援を行っています。またJPFの共に生きるファンドにて、災害救助法による災害公営住宅の津波被災者に対して、自治会支援を行いながら複数の支援団体を取りまとめて支援活動の調整を行っています。みんぷくの関係するネットワークへの参加団体はおよそ70団体です。いわきは浜通りの広域津波被災者を抱え、双葉8町村からの原発事故避難者をもっとも多く抱える地域であり、住民との軋轢などの課題も多く存在します。

   今回研修をお願いした白石先生は、震災直後JPFとも関係のある「JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)」という日本で最初のNGOから釜石にカウンセラーとして派遣されていました。また岩手の遠野や福島の中通りや山形で、支援活動を行うスタッフに対して同様の研修を行ってきました。これまでに福島浜通りのいわきでも、「みんぷく」や小名浜の「ザ・ピープル」という団体に対して数回にわたり研修を行ってきました。最近ではいわきの「いのちの電話」の支援員にも研修を行っています。

   今回の研修のきっかけは、宮城で応急仮設住宅や災害公営住宅の支援を行うスタッフや団体に対して、後方支援や研修事業を行っている「宮城県社会福祉士会」との情報交換会で打ち出されたニーズに対応するものであります。情報交換の中で、「みんぷく」ではコミュニティ交流員への対人支援の研修を行うにあたり、外から有名な方を招いて研修プログラムをやりたくても費用が高くて難しい等の課題が挙げられました。また、「いわき~ふたばネット」の中でも、今や支援者の支援疲れが顕著になり、グループ内の人間関係もギクシャクしたり、トゲトゲしたりしてきているので、支援者向けの心のケア、ストレスマネージメントの研修が必要との声がありました。

 こうした状況を背景に今回の研修が行われました。いわき市や浜通り双葉郡で、応急仮設住宅や復興公営住宅、災害公営住宅などを対象に支援活動を展開しているNPOスタッフや、コミュニティ交流員を中心に20名ほどの参加がありました。

 研修では、まず支援者の心を癒す研修。スキャニングといって頭の上から足先まで自分の体の中を探って行き、痛いところ、弱いところなどを探っていきます。それを絵に描いて、何人かで隣の人に回していきます。受け取った絵にみんなでそれぞれ手を加えていくと、最後に元に戻った時、おもしろい、不思議な、素敵な絵に仕上がっていきます。それぞれの絵について、みんなそれぞれ説明するのですが、私の苦しみをみんなが癒してくれた、私の痛みをみんなが温めてくれたなどの意見が相次ぎました。不思議と肩や首、腰の痛みが本当に消えたという話もありました。f:id:japanplatform:20171026144611j:plain

 次にはコミュ二ケーションスキルについて学びました。繰り返し、ペーシング、相手の深みに留まること、肯定の声掛けなどについて学びました。そして釜石での実際のケースやいわきで想定されるケースを用いてコミュニケーションのトレーニングを行いました。
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参加者からは
・実際のワークでみんなに支えられていることが分かり、心が癒された。
・誉める、誉められることにこんなに効果があるなんて驚いた。
・すごく楽しい研修だった。毎週でも受けたい。
などの声が多数きかれました。f:id:japanplatform:20171026144827j:plain
 今回様々な支援関係者が影響しあって実現できたプログラムですが、JPFは復興庁コーディネーター事業の一環で今後もこうした研修を引き続き行っていきたいと思います。

ジャパン・プラットフォーム(JPF)
山中

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福島県南相馬市小高区の<最近の様子>

皆さん、こんにちは。
JPFプログラム・コーディネーター(福島担当)の池座です。

今回は、海・山・川の自然の豊かさがあり、神社をはじめ歴史が感じられ、魅力的な人たちに出会える、福島県南相馬市小高区の「最近の様子」をお伝えしたいと思います。一度は行かれたことのある方も多い場所ではないでしょうか。

小高区は、今から約1年と3ヶ月前の2016年7月12日に避難指示解除およびJR小高駅の再開を果たし、その後、人口が数百人、1000人、1500人、2000人と徐々に戻りはじめ、2017年9月末時点で約2200人※(震災前は約12800人)を超える人々が暮らしています。※http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/10,853,58,html

〜若者の姿が見られるようになりました〜

とくに最近の目に見える変化としては、街に多くの若者の姿が見られるようになったことです。今年の4月に幼稚園、小学校、中学校が再開し、高校も開校して以来、小高駅から学校までの間の道のりをふざけ合いながら通学していたり、途中の食堂の前で並んでいたり、グラウンドで部活動に励む学生の姿を見ると、なんだか嬉しい気持ちになります。
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▲小高駅前で電車やバスを待つ高校生たち


〜双葉食堂+お寿司屋さん、お蕎麦屋さん、居酒屋さん〜

食べる場所も、発災後はじめてオープンした双葉食堂に続き、お蕎麦屋さん、お寿司屋さん、居酒屋さんもオープンし、外食を楽しむ場所も少しずつ増えてきています!f:id:japanplatform:20171016105821j:plain
▲地元の方が“とても美味しい”と言っていた浦島鮨

【参考情報】
浦島鮨
https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7001282/dtlrvwlst/COND-0/smp1/D-visit/?lc=0&rvw_part=all

双葉食堂
https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7005353/dtlrvwlst/COND-0/smp1/D-visit/?lc=0&rvw_part=all

十割そば こごた https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7007906/

居酒屋 更紗(さらさ)https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7014034/


〜エンガワ商店+コンビニも〜

食材やお弁当、生活備品・雑貨などを買いたい時は、南相馬市と地元企業(ワーカーズベース)によって駅前に設置・運営されている仮設スーパー「東町エンガワ商店」がオススメです。昨年秋にはローソン小高店、ファミリーマート小高店がオープンし、買い物をする際の選択肢も広がってきています。
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▲東町エンガワ商店街(外にベンチが設置されました)

【参考情報】
東町エンガワ商店街(小高ワーカーズベース)http://owb.jp/projects/engawastore/
ローソン小高店(福島民友)
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/10/post_14338.html


〜双葉屋旅館+ゲストハウスが出来るかも?〜

地域外から来られる人にとって重要な泊まる場所ですが、小高区を訪れる人にとって、宿泊場所として真っ先に思い浮かぶのは小高駅前にある双葉屋旅館ではないでしょうか。小林さんご夫婦で営むこの旅館は、小高区で宿泊できる貴重な場所であることは言うまでもありませんが、そのほかに地域の情報を得ることができ、地元の人や地域内外、海外からの訪問者に至るまで小高を想う多くの人々が出会い繋がり合う拠点としても大活躍しています!

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▲双葉屋旅館

双葉屋旅館の他にも、小高でゲストハウスをつくりたい!という方もいるとかいないとか!?

【参考情報】
双葉屋旅館 http://odaka-futabaya.com/

〜小高の女性に魅力的な職場 HARIOランプワークファクトリー小高〜

全国のガラス職人が手づくりで作ったガラスのアクセサリーを全国的に販売しているHARIOランプワークファクトリー社と小高の地元企業(小高ワーカーズベース)が協力し合い設立した『HARIOランプワークファクトリー小高』。ガラスごしに外からも工房での作品制作の現場を見ることができ、商品を購入することができます。地元の女性に魅力的な仕事と働きやすい環境を創出することを目指し設立されたとてもオシャレなお店です。
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▲HARIOランプワークファクトリー小高

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▲小高に100の仕事を興すことを目指す「小高ワーカーズベース」本社

〜住民+よそ者、若者、ばか者?が集まる 新生おだかぷらっとほーむ〜

小高の暮らしをより楽しいものにするために小高の女性3人が中心となり2015年秋に立ち上がった“誰でもぷらっと立ち寄れる家” 「おだかぷらっとほーむ」。ここは、「地元で暮らす人」「一時帰宅する人」「還ってくることを検討している人」「お墓まいりにくる人」「小高に観光や興味をもってくれて来てくれる人」「支援・応援に駆けつけてくれる人」などを対象に、小高に来た時にいつでも立ち寄れるところがある、誰でも気軽にぷらっと立ち寄れ、住民、若者、ばか者と触れ合い、楽しいこと、必要なことが生まれてくる、そんな願いでつくられた場所です。ちちらも、最近、(近くではありますが)引越しをし生まれ変わりました!
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▲新しい「おだかぷらっとほーむ」(運営主体:小高工房)

おだかぷらっとほーむでは、発足以来、月に1回、第4金曜日の13時〜15時あたりに、住民組織や南相馬市内でサロン活動や環境保全活動を実施する団体や、その他県内外から小高を応援する関係者が集まり、情報交換をする「おだかぷらっとほーむ定例会議」を実施しています。(どなたでも参加可能)
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▲設立以来、小高に関わる人たちが毎月集まり情報交換する定例会議の様子

定例会議のプログラム構成や話し合われる内容も、小高の環境の変化により変わってきています。これまで2時間ほどの情報交換の場であった定例会議ですが、最近では、重要なテーマに関して興味のある人で深掘りして話し合う時間も加わりました!

例えば、9月22日に開催された前回の定例会議では、「4月に避難指示解除になった隣町の浪江町でぷらっとほーむの様な場をつくりたいが、小高のネットワークの経験・知見をうまく移行できないか」「Uターン者・移住者が少し見えてきたが、もっと多くいる可能性があり、どう新しい人たちと繋がり合えるか」などが話し合われました。f:id:japanplatform:20170922184949j:plain
▲県外からの学生や移住者も交え、皆で移住定住に関して意見を交わし合う

夕方からは、移住者を交えた小高に関わる人同士の交流会(BBQ・芋煮会の様なもの)を実施し、街に賑わいをつくり、誰でも気軽に立ち寄れる場を試行的につくることになりました。交流会の準備から皆んなで楽しく協力しながら行うことで、さらなる交流の効果が期待されます!(大変過ぎると続かなくなる不安も感じながら・・・笑)  今回のメインディッシュである「大蛇巻き」にみなで挑戦!昭和61年に小高で住民約2500人が集まり842メートルのジャンボのり巻きづくりに挑戦した記憶から、今回の企画が浮上したらしい。(ギネスブックに掲載されたかは不明・・・)f:id:japanplatform:20171016111120j:plain
▲交流会に向け、小高の歴史にまつわる「大蛇」をモチーフにした手巻きすしづくりの様子

夜は、大蛇のり巻きを頂きながら、外で焼き鳥を焼く人や、ギターを弾きながら歌う人や、部屋の中で議論を重ね合う人など、思いおもいの交流がうまれていました!f:id:japanplatform:20170922185019j:plain
▲夕方からの第1回交流会。BBQをしながら移住者やボランティアに来た学生が音楽を楽しむ様子。

【参考情報】
おだかぷらっとほーむ
http://3bplus1-odaka.jp/(おだかぷらっとほーむHP)
https://www.facebook.com/3bplus1/(おだかぷらっとほーむFacebook)
https://mainichi.jp/articles/20170619/ddl/k39/070/345000c(毎日新聞)

小高では少しずつではありますが、学校の再開や、お店や事業所の開設、Uターン者・移住者の増加、地域住民の大きな課題となってきた調剤薬局の不在(病院で処方箋をもらっても薬を得る場所がない)が解消されるなど、徐々にではありますがポジティブな動きも生まれてきています。(新聞の配達サービスがないなど課題は残ってはいますが)

ぜひ、一度行ってみたい!久しぶりに行ってみたい人はお気軽にご連絡ください♪

以上、ほんの一部分ではありますが、地域コーディネーターから見た最近の小高の子をお伝えしました。

JPF 地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
池座

ジャパン・プラットフォーム(JPF)本サイト 
http://www.japanplatform.org/



2017年夏のイベント

 今年の夏休みはほとんどの時間を費やして、仙台社宅の整理整頓を行いました。わずか二年半の間に増え続けた資料や荷物の山は凄まじいもので、断捨離(だんしゃり)の研修でも参加しない限りとても終わらないと思われるほどでした。自分に甘い言い訳をすれば、優しくおっとりとした私の性格が、「断」「捨」「離」のどれからも遠い存在にあるため思い出の品々が自然に心地よく私の部屋に居座ってしまうのだと理解しています。

 そんな合い間を縫って、今年の夏は「祭時山(まつるべやま)・縄文焔(ほのお)祀(まつ)り」と「いわき放射能市民測定室たらちね海洋調査」の2つのイベントに参加させていただきました。

 「祭時山・縄文焔祀り~太古の眠りから目覚めた縄文の神々を称える焔の祀り~」には、私の20年来の友人であるアイヌの長老、浦川治造さんの招きで参加しました。浦川さんからはいつもの調子で「この日、空いてる?阿久津さんにどうしても来てもらいたいんだけど…。」「(岩手県)一関の山の中でアイヌや縄文時代人につながる遺跡が見つかったんだ。俺がそのまつり(アイヌ祈りの儀式)でお祓いをやる(祭主)から見に来てくれ…。」という電話でした。いつものように子どものような人懐っこい目でいくぶん興奮してしゃべる映像が浦川さんの朴訥とした言葉から届いてきたので、「(浦川さんの頼みなら)それじゃあ、行くか」という感じで参加を決めました。アイヌの精霊が宿る神聖な儀式は、さすがの迫力で浦川さんの「自然と調和した生き様」が私にも伝わってきました。その模様は、翌日のNHKニュースでも流れたそうです。また、浦川さんの味のある人間像についてはNHKオンデマンド Eテレ「こころの時代~アイヌ ネノ アン アイヌ 人間らしい人間 アイヌの長老浦川治造さん」をご参照いただければ、幸いです。

 浦川治造さんと一緒にいると不思議なことがいっぱい起こるのですが、今回も面白い出会いや再会がたくさんありました。一人は宿泊先となった「祭時温泉 別邸 かみくら」の女将。著名な元代議士の娘だそうですが利発で優雅な動きは特別で、岩手の山奥にある秘湯できれいな素晴らしい温泉ですので、良かったらお訪ね下さい。もう一人は浦川治造さんの友人で元朝日新聞記者の増子義久氏。記者を引退されてから郷土へ恩返ししたいと花巻市議会議員をされている方ですが、文章力は健在で「イーハトーブ通信」という彼のブログでも「縄文焔祀り」について書かれていますので、是非ご一読ください(http://samidare.jp/masuko/note?p=list&page=2&c=&w=)。そして、もう一人は、浦川さんの実姉の宇梶静江さんです。性格派俳優、宇梶剛士(たかし)さんの実母で、自然と共に生きるアイヌの詩人・絵本作家との再会です。ちなみに、若い頃やんちゃをしていた剛士さんを締め上げて更生させたのは叔父の浦川治造さんだそうです。

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上記写真はいずれも(c)JPF
 
   がらっと話が変わって、もう一つ、私が参加した重要なイベントが「認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね」の海洋調査です。最初は趣味の釣りができるからと気軽に「ボランティア釣り師」として参加したのですが、とても意義のある重要な海洋調査でした。

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 海洋調査の第一の作業は、海水の採取です。f:id:japanplatform:20170819081138j:plain(c)たらちね

 専門家のご指示のもと、少なくとも表面に近い部分の海水と海底に近い部分の海水の2種類の採取を試みていたことが後でわかりました。何度も何度もやり直しているので、「釣り師」の私としては「早く釣らせてくれ…」との心の叫びを押さえつつ作業を見守っていたのですが、潮が速くて通常の重りでは海水採取のための白いバケツのような容器を海底まで沈めることができなかったため、何度もやり直していたようです。結局、この日は海底付近の海水の採取はできませんでした。

 海洋調査の第二の作業は、専門家の先生から指定された魚種を釣る作業です。いよいよボランティア釣り師である私の出番です。専門家の先生からのご指示は、ヒラメ(2011年3月11日の原発事故以前から生息しているものであれば調査研究対象としてなお良い。80cm以上の7年物になります!)、黒ソイ、アイナメ、カサゴ、メバル、カレイなどでした。ヒラメを追っかけて20年以上の私でも、まだ、80㎝以上のヒラメは釣ったことがありません。福島第一原発からほど近い領域では現在、漁はされていませんから、魚影の濃さは言うまでもありません。ヒラメが釣れた時のことを想像するだけで興奮して手が震えるほどです。

 釣りが始まって、5分もしないうちに私の竿がしなって、運よく黒ソイが釣れました。船中ではじめての釣果だったので、鈴木譲東京大学名誉教授が飛んで来て、自ら魚をはずそうとしていました。専門家の先生方の意気込みも伝わってきます。黒ソイは、アイナメやメバルなどと一緒に岩陰や海藻の中に隠れていて、小魚やアサリなどが上から落下してくると素早く岩陰などから飛び出して、エサに飛びつき、次の瞬間、エサを咥えたまま体を反転させて、もと居た岩陰などに戻ろうとします。その時、大きく竿を合わせると魚が釣れるのです。これが私の釣り上げた黒ソイです。f:id:japanplatform:20170819140441j:plain(c)JPF

 指示された魚種を早々と釣り上げた私は、いよいよ本命のヒラメを狙うため、まず、生きたエサとなる、アジやイワシを釣りにかかりました。ところが何度も釣り場所を移動して、あの手この手で、待てど暮らせど、エサが釣れません。こりゃ困ったなあと思案しているうちにアジやイワシの5倍以上の大きさのイナダが釣れてしまいました。回遊魚なので私だけでなく、あちこちで一斉にイナダが釣り上げられています。イナダはブリの子どもで、大きくなるのに合わせて名前が、ワカシ(15cm以内)、イナダ(40cm以内)、ワラサ(60cm以内)、ブリ(80cm以上)と変わる出世魚で、縁起の良い魚なのですが、アジやイワシを狙っている私には迷惑な魚です。なぜなら、イナダでは大きすぎてヒラメのエサにはならないからです。

 そうこうしている内に海が荒れて来て、この日の釣りは悔しさを残しながら終了となりました。私には釣れませんでしたが、仲間のボランティア釣り師の方が、専門家の先生が期待されていた80cm近くのヒラメを疑似エサのルアーで釣り上げていました。f:id:japanplatform:20170819085818j:plain(c)たらちね

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 腕の差ですかね、うらやましいです。それでも、港に引き上げた直後に雷が鳴りザーッと夕立に見舞われたので、その前に引き返せた私たちは幸運と言えば幸運でした。その後は選手交代で、JPF地域事業部の坂巻と斎藤が、たらちねの事務所で合流して釣り上げられた魚の放射能測定調査の視察を致しました。f:id:japanplatform:20170819134155j:plain(c)JPF
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 今回の魚のガンマ線測定の結果については「いわき放射能市民測定室たらちね」のホームページに掲載されています。

JPF 地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
阿久津幸彦

ジャパン・プラットフォーム(JPF)本サイト 
http://www.japanplatform.org/

6年間に思いを巡らせながら夜空を見上げた日

こんにちは。福島担当の山中です。

福島県浜通り双葉郡では昨年から今年度にかけて避難指示解除がたて続けに行われ、それに伴い伝統的な夏祭りや花火大会も浜通り沿岸部を中心に開催されることが多くなっています。今年のお盆にも、川内村、富岡、浪江等で夏祭り、盆踊り、花火大会が開催されました。私も富岡の花火大会に参加しましたが、県外や県内の内陸部にある避難先の遠方から車で来られている方も多く、それぞれのこれまでの6年間に思いを巡らせながら故郷の夜空を見上げているようでした。

津波の被害だけでなく、放射能と除染、汚染物処理という課題を克服しなければならなかった福島県浜通り沿岸部の土地も様々な様相を見せてきました。
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▲東日本大震災地震津波の被害を受けた富岡駅周辺の風景 (c)JPF

一時は放射能汚染物質減容焼却炉や仮置き場で埋め尽くされることもありました。

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▲避難指示解除準備に向けて設置された仮設の放射能汚染物質減容焼却炉 (c)JPF

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▲除染された放射能汚染物質を入れた袋を並べた仮置き場 (c)JPF

もうずっとこのまま、この殺風景な景色のままなのだろうかと思ったこともありました。

ようやく6年半たって、何とか花火が上がっても違和感のない景色になりました。
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▲富岡の花火大会 3月11日撮影(c)JPF

しかし、帰還率はまだまだです。例えば富岡の帰還率はわずか約1%とも報じられています。年間20mSv(ミリシーベルト)という基準で避難指示が解除されたために、線量がいまだに高い地域も残っており、若い世代の役場職員をはじめ殆どの人は郡山等から通ってきています。冬になると雪で峠の道もさらに険しくなり、通勤の過労や事故も懸念されています。帰還者の殆どは高齢者が中心とも言われており様々な課題が浮き彫りになってきています。外から富岡や浪江の復興のために貢献したいと働き盛りの若者が思っても、家賃や物価が東京並みに高く、住めるのは廃炉、除染関係者だけという状態が続いています。

ようやく祭りや花火ができるようになり、復興のスタートラインに立った浜通り沿岸部の相双地域ですが、課題は山積みです。一方で課題先進地域とも言われ、一度に日本中、世界中の課題が集約されたこの場所で、それに立ち向かう取り組みが今後の日本の変革に寄与していくという思いで活動されている方々も一定数いらっしゃいます。そうした方々を疲弊させ、孤立させてしまわないように、持続可能性を担保するために新たな連携の枠組み、仕組み作りが求められています。JPFの地域担当もそうした動きに対して前に出ることなく、後から支えていけるよう一層努力していきたいと思います。

地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
山中

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