ジャパン・プラットフォーム(JPF) 公式ブログ

緊急人道支援組織、認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)のブログ。NGO・経済界(経団連、企業など)・政府(外務省など)が連携し、国内外の緊急人道支援を実施。寄付金・募金受付中。

東日本大震災の現場のご紹介

今年の冬は雪が降ります。日本海側ほどではありませんが、すっかり雪景色の仙台より岩手、宮城担当の三浦です。みなさま、お住まいの地域はいかがでしょうか?大雪に見合われている地域でこれ以上の被害が出ないこと祈るばかりです。 

ところで、東日本大震災の現状についてどのように情報を入手されていますでしょうか?新聞やニュース、団体のHP、JPFもできる範囲で情報発信させていただいており、様々な形でアンテナを張られていると思いますが、現場の声、特に人の‘想い’や‘感情’まで知ることはなかなか難しいのではないかと思います。  

そんな中、現場の熱量、人の想いを知る手段としてクラウドファンディングをご紹介します。JPFは復興から取り残される方がいないよう、広い視野で被災地全体の課題を捉えるよう努めていますが、どうしてもお手伝いしにくい地域や分野が発生します。

今回、JPFからの情報発信に乗りづらいですが、地域担当として特にみなさんに知っていただきたい3つの事業を紹介します。

 一つ目は、宮城県丸森町筆甫(ひっぽ)地区のチャレンジです。

丸森町は宮城県の最南端、福島県との県境に位置し、自然豊かな里山に囲まれた桃源郷のような地域です。震災前は恵まれた自然環境を活かし、都会からの移住定住者を積極的に受け入る先進地でしたが、東日本大震災発災後はすべてが一変しました。

地域活性化として力を入れていた山菜、キノコやイノシシ肉などは汚染され、移住の動きも全て止まりました。

放射線 の影響という観点で県境にはまったく意味がありません。しかし、支援策としての県境は大きな壁となり除染や保証の部分で丸森町は大きな苦労をしています。内陸部にあたるため津波被害がなく外部支援団体はほとんど入っていません。孤立無援の先の見えない状況の中、住民のみなさんは様々な試行錯誤を繰り返し、今大きなチャレンジを行っています。筆甫の現状、住民のみなさんの想い、どんなチャレンジをしているのか、是非是非、以下リンクをご一読ください!

 丸森町筆甫に地域を再生させる「ひっぽのお店」をつくりたい!

https://readyfor.jp/projects/hippo

 二つ目は、「津波復興祈念資料館・閖上の記憶」のチャレンジです。

名取市閖上地区にある閖上の記憶は、発災当時の映像や津波の痕跡の残る遺物、また語り部の拠点として、語り部タクシーの巡回ルートにも入るなど、東日本大震災で亡くなられた方に想いを寄せ、教訓を学ぶための民間施設として重要な役割を果たしています。

被災地である閖上に存在し、閖上で語ることを大切にしてきたため、復興計画に伴うかさ上げ工事で移転を余儀なくされてきました。慰霊の施設や伝承施設は宮城県内に複数ありますが、民間の施設として多くの映像と記録を残し、語り部活動を行っているところは稀です。この施設が現在存続の危機に陥っています。

閖上の記憶の現状と今後の計画について是非以下をご覧ください。 

 「津波復興祈念資料館・閖上の記憶」恒久的施設へ!

https://readyfor.jp/projects/tsunami-memorial

 三つ目は福島県浪江町で行われているチャレンジです。

原発事故により全町避難を余儀なくされた 浪江町は2017年3月31日に一部避難解除になりました。震災前約21,000人の住民がいた浪江町ですが、一部避難解除になった後、2018年1月現在、約500人の方が戻られた状況です。震災前の人口の約2%しか人がいなくなってしまった浪江町。そんな浪江町の中心部に町民はもちろん、浪江町を支援したり、ボランティアする方たちの交流拠点となるゲストハウスをつくろう!というチャレンジが始まっています。避難指示解除後の地域支援は何から始めたらよいか私も悩みます。とはいえ、最初の一歩がなくては何もスタートしません。勇気ある最初の一歩、是非関心を持っていただけるとありがたいです。

 震災で町民が0人になった浪江町に人が繋がり集う場所を作りたい

https://readyfor.jp/projects/14815

  東日本被災地にはご紹介しきれない多くのチャレンジがまだまだあります。被災地の復興は、こういった小さなチャレンジの積み重ねで成し遂げられるのだと思います。チャレンジを応援するJPFでありたいと思いますし、チャレンジに優しい被災地に、そしてチャレンジに優しい日本をみなさんと作りたいですね。

今回事例を紹介できなかった岩手県では、岩手県に限定したクラウドファンディングを集めたサイトがあります。岩手のチャレンジを応援したい方、以下サイトをご覧ください。

いしわり ~岩手をもっとおもしろく! 岩手発のクラウドファンディング~

http://ishiwari.iwate.jp/

 東日本への継続的関心をいただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。

 

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JPFと私。

はじめまして。
12月からジャパン・プラットフォーム(JPF)のメンバーとなった新人の阪田です。
といっても、一般企業を満期まで勤めて卒業し、その後、ある公益財団の運営に携わってきました。少し歳を重ねた新人ですが、どうぞよろしくお願いします。

企業では、耐久消費財メーカーとしてのマーケティング、宣伝、広報、そしてCSRなどの部門を担当してきました。東日本大震災が発生したのは、ちょうど私がCSR部門を担当している時でした。歴史の浅いCSR部門として、このような大規模災害に向き合うのは初めての経験でしたので、日々、何をなすべきか、右往左往しながらこの時期を過ごしたことを記憶しています。

私がJPFのことを知ったのはこの時が初めてでした。このブログを読んでくださる方には企業のCSRのご担当者も多いと聞きますので、企業人時代の私とJPFの出会いについて少しお話をしてみたいと思います。 

陰徳と陽徳という言葉があります。陰徳とは、人に知られないで善行を行うことをいい、陽徳はその逆で、あらわに人に知られる徳行をいいます。私の所属していた会社は商品ブランドも含めて、比較的認知度の高い企業でしたが、あえて独断で言わせていただけば、その種の企業であれば、大震災の発生時における行動規範は、決して陰徳を選択するということはなく、まずは陽徳を選択する、といっても過言ではないのではないでしょうか。創業者が強いイニシアティブを持つオーナー企業であれば、オーナーの考え方で陰徳を選ぶことはあるかもしれませんが、一般的には陽徳であるのが普通であると思いますし、もっと踏み込めば、この機会に社会に貢献したい、そしてその事実を広く知らせたい、というのがCSR部門を受け持つ、私自身の本音でした。

長年かかって築き上げてきた自社のブランド価値を、震災を機に、低下させてはいけない。したがって誤った対応はできません。さらに社会から期待されるレベルの対応は実施し、当然、ブランド価値を維持し続けることが最低限守るべき事項です。また、この不幸な出来事がきっかけではありますが、その後の企業の在り方次第では、これを契機に更に好感度の高いブランドとなることも可能かもしれません。そのためには、震災に際して、「私たちはこのように考えて、こうした、こうし続ける」ということを積極的に表明していかなければなりません。それが、社会からの信頼を勝ち取り、強いブランドを作っていく要素であるからです。

経営者のアクションとして、震災発生時にすぐに考えるのは寄付のことでしょう。多くの経営者にとって、まず頭に浮かぶ大変なじみのあるいくつかの団体があります。それらは当然、視野に入れるとしても、それだけでは企業の独自色が出せません 。

といっても、震災後すぐに現場に飛び、懸命な支援活動している数あるNGOの一つ一つを吟味しても、どこに何をしていいのやら、結論が出ませんでした。そんな時に、私はJPFを知りました。JPFに寄付すれば、そこから現場で活躍するNPOへ、いますぐに必要な資金が、速やかに効率的に助成されると聞きました。その選択がが、いま苦しんでいる人々への大きな支援になるのではないか。従業員も、そういう対象先を重視している自社の活動に、強い誇りを持つのではないか。そう考えたのでした。

経団連の関連組織である1%(ワンパーセント)クラブの会員向けニュースの中で寄付先のひとつとしてJPFが紹介されたこと も、企業人としては目からうろこでした。私はそのことに強く着目しました。このことは、企業のCSRの担当者にとっては、自社の経営者に、なぜわが社は、支援団体としてJPFを選ぶのか、という説得を強く後押しする結果となるからです。

JPFは人道支援活動を行っている多くのNGOと経済界や公的機関が共に支援を行う中での特別な存在としてとして 、私の心に強く残りました。企業人である私にとって、これがJPFとの最初の出会いでしたが、もし、この時の経験がなければ、いま、私がJPFのスタッフの一員となっていることはなかったと思います。

歳を重ねた新人として、元企業人としての経験をもとに、これから皆さんに、いろいろなご報告を行っていくことができればとても幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

f:id:japanplatform:20180129110028j:plain※左手前が阪田(C)JPF

ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部
阪田

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地域事業部部長就任のごあいさつ

皆さま
この度、ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部の部長に就任しました池座と申します。

■経歴と原点
これまでの約6年と数ヶ月の間、私は宮城県、福島県に駐在しながら、JPF及び連携団体であるJCN(東日本大震災支援全国ネットワーク)にて地域コーディネーター及びコーディネーター統括として被災地域に関わってきました。

東日本大震災の前は、学生の時に日本とアメリカにて国際環境・人権NGOに関わりはじめ、社会人になりIT関係の事業を自ら運営し週末は仲間とお米づくりや田舎・都市との交流促進を行う傍ら、路上生活者等の生活困窮者へのサポートをしておりました。こういった活動に関わっているのは「NPOや市民活動が好きで社会的に○○したい!」という動機ではなく、「何で人が普通に暮らせない世界が存在しているのだろう?」という幼少時代からのシンプルな疑問、感情がおそらく原点ではないかと考えています。

■新たな立場で大切にしていきたいこと
この度、2018年1月1日より、様々な葛藤を経ながらもJPF地域事業部の部長に就任することになりました。就任にあたり、東北の被災地域だけでなく九州や今後の広域大規模災害を含め、より広い範囲に目を向ける管理職の責務を負う立場になります。

上述の「葛藤」の大きな部分は、東北にこれまで関わってきた自分自身の「本来的な精神」や意義が失われ、傲慢ではありますが、1コーディネーターの東北へのサポート量が微力ながらも減ってしまう、という懸念からでした。

これまで私が東北に関わる上での本来的な精神・信条は「現場・住民・団体の声や状況を基本とし、課題解決に向けて彼女・彼らと共に考え行動していく」というものでした。そして、この葛藤期に様々な関係者や新潟にいる家族とも幾度となく話し合いを重ね、以下のような結論、決心に至りました。
(1)本来的な精神を崩さず、地域駐在員と共に東北(福島)に駐在し続ける
(2)現場の精神・状況をJPF、関係企業・団体に伝え、還元していく
(3)JPFスタッフ同士や他団体ともこれまで以上に連携をはかり、被災地域の課題解決に向けたサポートの質・量を向上させる

■JPF地域事業部としての方針
岩手・宮城県に関しては、残された諸課題(震災により加速化した移動困難者・生活困窮者・地域経済の急激な鈍化及び人材流出など)の解決に向けて、持続的な支援を可能とする組織基盤の強化及び団体同士のネットワーク化をサポートしてまいります。

また、福島県では、昨年大規模な避難指示解除がなされましたが、市町村民の心・想いの置きどころや生活面での困難さなどが、より厳しく複雑な形で襲ってきていると認識しています。(例:避難解除地域のインフラ不整備及び移動困難、仮設住宅及び復興住宅における孤独・孤立・生活困窮、事故の責任所在の不明確さ、放射能リスクの医療的見解の曖昧さ、放射能への不安や不安を周囲に表明しにくい中で生活をする葛藤、経済負担の少ない保養プログラムの減少、子どもの抱える複雑な想い、福島で起きていることの社会的忘却に対する悲しみなど)

こうした山積する課題解決に向けて、地域事業部としては、他の関係組織と連携しながら、避難している人、帰還した人、拠点居住を送る人、放射能へ不安を抱える人、不安なく生活する(と言及する)人など、各々の持つ価値観選択を等しく尊重し、団体への助成サポート、団体同士のネットワーク化のサポート、持続可能な活動継続を目指した組織基盤の強化サポートをおこなっていきます。

熊本地震においては4月で3年目を迎えますが、熊本県を中心に、仮設住宅から自立再建、災害公営住宅の生活へのスムーズな移行を地元の団体やネットワークと一緒に継続していく予定です。

■さいごに
以上、長文となりましたが、これから新しい立場で、東北・九州および将来起こりえる被災地域の復興に少しでも寄与できればと願っております。

若輩者ではありますが、どうぞ引き続きご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

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▲米沢の助成先団体を訪問した際に米沢駅前にて(C)JPF

ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部
池座 剛

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「熊本復興支援に必要な力を身につける活動研修事業」について、お知らせします。

ジャパン・プラットフォーム(JPF)は、熊本地震の支援を続ける団体やグループの皆様が今後の活動に活かせるヒントを得ていただくため、過去の被災地に学ぶ視察研修事業を実施しています。夏から続いていた視察ですが、地域事業部熊本担当が、10月の終わりから11月初めにかけてそのうちの3団体に視察同行いたしましたので、その一部を紹介します。

■2017年10月27~29日(宮城県編:石巻-仙台行ったり来たり旅)
10月27日
熊本大学の学生の災害支援サークル、「災害ボランティアサークル sunflower」の5名の視察で、仙台にある「みやぎ心のケアセンター」へ同行しました。
代表で参加した5名ですが、サークルの熊本地震支援では、仮設住宅に訪問し、子どもたちとの遊びを通した支援を続けています。彼らにとっても初めての大規模で長期の災害対応なため、地震の恐怖やガラッと変わった仮設住宅での生活に戸惑う子どもたちへの接し方に悩んでいました。
「みやぎ心のケアセンターの企画研究部長、福地医師からは、経験に基づいた、しかも専門的なアドバイスをたくさんいただき、スポンジが水を吸うように彼らに浸透していっているのがわかりました。
「もっと話を聞きたい!」「もっと勉強したい!」ということで、来月に2つの研修を受ける計画を進めています。

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▲みやぎ心のケアセンターで話を聞く熊本大学の学生さんたち(C)JPF

一つは、(公財)日本ユニセフ協会(以下「ユニセフ」)と(国研)国立精神・神経医療研究センターが共同制作した「子どもにやさしい空間(CFS)」という研修です。災害や紛争の影響を受けている子どもたちが安全に安心して過ごすことのできる“居場所”を確保し、学校や遊びなどの“日常”を提供する活動に役立つ内容です。
もう一つは、ユニセフと日本プレイセラピー協会の「遊びを通した子どもの心のケア」の研修。幼い子どもたちへの心をサポートし、子どもの自己回復力を助ける内容です。
それぞれの学校の勉強の合間に、半日の長い研修を受けることになりますが、彼らの「もっと子供の心を知りたい、わかりたい!」というキラキラした表情は、 “爽やかな風”が吹きわたったようでした。 

10月28日
熊本に引っ越し、働きだしてすぐに地震を経験した、松岡亮太さん率いる、「くまもと友救の会」。重機を操る一方で、仮設住宅にお住いの方からの小さな声も拾って、様々な支援をしています。3名が、石巻市北上町で移住型の就労支援、まちづくりを目指す一般社団法人イシノマキ・ファームを訪問しました。
素敵な古民家が事務所です。代表の高橋由佳さんより、米作りが主だったこの土地に、ホップが自生していることがわかり、ホップを栽培し石巻では初のクラフトビール「巻風エール」ができたこと、また住民の皆さんに溶け込んで農業をすることの大切さ、などのお話を伺いました。松岡さんたちは、熊本でどんな計画を立てるのかな?
楽しみにしています!

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▲イシノマキ・ファームで高橋さんにお話を聞く(C)JPF

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▲「巻風エール」」と北上町のホップ(C)JPF

■11月3~5日(新潟県編:中越ぐるぐる旅)
宮城の次の週は、新潟です。村を横断する断層で全村避難した、西原村大切畑(おおぎりはた)地区の皆さんが、中越地震に学ぶ視察の同行です。大切畑地区は、ほぼすべての住宅が全壊しましたが、下敷きになった人は、住民たちの助け合いで全員が助かったそうです。熊本市のベッドタウンとして人口が増えてきた西原村でしたが、この地震で別の場所へ移ることを決めた住民も出てきており、今までのように顔が見え、助け合える地域づくりのヒントを得たいと、この視察に参加しました。

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▲田麦山集落で「いきいき田麦山」の皆さんにお話を聞く(C)JPF

2004年10月23日に起きた新潟県中越地震から、既に13年が経っていますが、新潟の山間地域、山古志の住民の皆さんのお話を聞くと、被災から今に至るまでの思いが質問を受ける時のどっしりとした重みのある姿勢や言葉に表れているようでした。
「自然」「伝統」「次世代」この3つがそろって、地域は息を吹き返すのだな、と感じました。地域で採れる農作物、錦鯉、闘牛、育っていく子どもたち。西原村の皆さんへは、「これからを担うあなたたち、若い人ばかりじゃないか。村を出ていく者は追うな。残った者だけなら意見はまとまりやすくなる。十分やれる。」と、“中越の長老”より“熊本の若人”への激励の言葉があり、勇気づけられたのではないかな、と皆さんの背中を見ながら感じました。

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▲11/14にJPFスタッフが訪れた、西原村大切畑地区

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▲ 住宅の庭先が崩れたままになっている

11月15日には、熊本市内で、視察に参加した14団体の報告と、今後の計画づくりのための研修が行われました。
詳しくは、JPFホームページの「熊本復興支援に必要な力を身につける活動研修事業」をご覧ください!
http://www.japanplatform.org/contents/kumamoto_workshop/

みなさんの今後の活躍が楽しみです。

地域事業部 斎藤
(2017年4月より、国内事業部から地域事業部へ部署名を変更しました)
 

はじめまして。藤原です。

はじめまして、8月1日からJPFで働いております、藤原です。

主に東北事務所を拠点に、福島県の避難指示解除地域における、地域づくりや特定の課題解決を行う団体のキャパシティービルディングやそれらの団体間ネットワークの基盤強化を行う復興庁コーディネート事業(以下、復興庁CDN事業)に従事しています。

ちなみに、JPFで働く以前は、国際色豊かなJPFとは全く違う、国内の地域づくりなどを行う、複数の非営利組織で働いており、東日本大震災前までは主に大阪、神戸、芦屋などの関西圏の中間支援NPOで働き、震災後は地元でもある宮城県の仙台や石巻などにある民間団体や行政機関で、復興支援団体の方々に対する支援や医療福祉介護施策に従事してまいりました。

■4年前と今の浜通り
8月から福島、特に浜通りでの事業に関わり、頻繁に浜通りに向かうと、沿岸部の避難指示解除地域では、長い間震災直後の崩れた家屋、忽然と人だけがいなくなった町並みだったところが、新たな造成現場になっている場所や、時折ですが、制服の学生が行きかう町並みになり、復興が進みつつある風景に変わってきています。この6年間、福島への関わりがほとんど無かった私としては
・いまだ多くの方が関わりながら除染作業が続いている事(完了した地域も多くあります)
・最近になりようやく復旧した国道がある事
・避難先から元の場所に戻るか、別の地を目指すかと言う決断は、避難されている方の個々人の境遇だけでなく、流動的な復興をめぐる環境や支援制度などの見通しなど、外部から見ている以上に、易々と判断できるものではない、複雑な状況に未だ多くの方がおられること
を知りました。

また、私の印象では『復興が進みつつある風景』と感じていますが、住民のある方は、
『3月12日以降の現在、何も変わっていないし、何も解決していない』とおっしゃられ、住民の方の心象風景には、そのように映っている方もいるということを、知りました。

■『つなぐこと』に重点を置いた支援
さて、私が関わっている復興庁CDN事業では、主に
①福島第一発電所事故に伴う避難指示が解除となった地域における住民や支援者のつながりや
②県域での震災由来の共通課題分野を取り扱う団体のつながり、ネットワークの形成支援
を行っています。

具体的には、ネットワークの中核を担う人材や集まり(ネットワークの組織体、ネットワーク体)への資金面・情報面での支援と事務所や会議などの『場』づくりを通じた
基盤整備(Capacity Building)を行っています。

復興庁の本事業の、ネットワーク体を支援する仕組みや施策は、私見ですが、珍しく、意欲的な取り組みであると感じており、この取り組みの結果は見えにくいものではあるものの、将来にわたり非常に意義深いものになると感じています。

今回の事業で支援や支援の予定をしている地理的ネットワークや課題別ネットワークは以下です。

◇地域ネットワーク
 ・おだかぷらっとほーむ(南相馬市小高地区)
 ・なみえぷらっとほーむ(仮)(浪江町)
 ・川内未来プロジェクト協議会(川内村)
 ・双葉郡未来会議(双葉郡全般)
 ・いわき~ふたばねっと(いわきから双葉郡にかけて)
 ・くらスタ(田村市都路)

◇分野ネットワーク
 ・心のケア
 ・生活困窮者
 ・避難指示解除
 ・子供の貧困

■避難指示解除地域の現在
JPFでは、南相馬市小高地区、浪江町、川内村、双葉郡をそれぞれ対象地区とする団体に、ネットワーク作りを主眼に置いた各地域でのコーディネーターを、計8人の方々にお願いしています。(コーディネーターをお願いしていないネットワーク体もあります。)

10月31日にコーディネーターを一同に会しての自由な意見交換会を開催し、避難指示解除後、“地域づくり”を行う皆さんの現状の思いや課題、将来に対する見通しなどをうかがいました。(8人中7人参加) 

避難指示が解除され、“帰還”が可能になったと言えますが、人口面や経済面は、避難前と大きく違い、個々人の生活の在り方やコミュニティの形成などを一から考え直し、
作っていかなくてはいけない状況です。

地域により状況は異なりますが、帰還された方は、
 ・避難前の人口の1割以下しか帰還民がいない地域
 ・若年の家族に通院や買い物を支えられていた家族の、年配者の方だけの帰還
 ・見知っている人が見当たらない地域
など、各地域共通する地域の状況が話に上り、今進んでいる“帰還”とは、昔住んでいた“場所”としての帰還であり、“生活の場”としては、まったく別の場所に帰還されたようにも、私には映りました。

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■地域のコーディネーターが今、考えていること、悩んでいること

その中、コーディネーターの方々は、帰還された方のコミュニケーションの場づくりや、帰還を思い悩んでいる方への地域の現状を伝える役割、震災をきっかけに移住を考える方への支援など、新たなコミュニティづくりに向け活動や活動に取り組むネットワークづくりを行っています。

個々のネットワークにおける活動内容等については、今後紹介させていただくこととして、今回の意見交換会では、
・“人口の回復”を目標値とする復興の区切りに対する疑問や提案
・“集落”で構成されてきたコミュニティと町や村という行政区画単位で考えられているコミュニティ再生計画とのズレについて
・“移住”や“交流人口”を増やしたいが、居住・宿泊などの住宅ストック活用が上手く進んでおらず、ミスマッチが生じていること
・安心して暮らせる地域に戻りつつあるものの、避難されている方や遠方の方々の持つ、震災直後に広まった、避難指示地域の“暗い”イメージ(治安の悪化など)が払しょくできないでいる
など、これからコーディネーターの方々の踏ん張りどころとなる内容から、住民や行政などと協働しながら切り拓いていかなくてはいけない内容など、コーディネーターの皆さんが抱かれている様々な思いや課題が共有されました。

私をはじめ、JPF福島担当は、今後も復興庁CDN事業を通じ、コーディネーターの方々の抱える課題解決やアイディアの実現を伴走型で支援していきます。

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JPF地域事業部
藤原


支援者向け研修で心のケア

   こんにちは。福島担当の山中です。

   10月20日(金)に、「みんぷく(みんなが復興の主役)」がJPFの共に生きるファンドの助成事業として行う「いわき~ふたばネット」というネットワークにて、支援者向けの心のケア、ストレスマネージメント、コミュニケーションスキルアップ、ケーススタディーの研修が行われました。これはJPFが復興庁から委託を受けている復興庁コーディネーター事業の一環として行われており、地域ネットワーク体の基盤強化と支援者のキャパシティービルディング、住民のエンパワーメントが目的です。

   「みんぷく」は、立ち上げ当初からJPFが共に生きるファンド等を通じて支援している、いわき浜通りで、被災者支援を行うNPOのネットワークを形成する団体です。これまで、仮設住宅、地域コミュニティの支援を行いながら、複数の支援団体を取りまとめてきました。現在は県の委託事業として福島第一原発事故に関する特別措置法によって建てられた復興公営住宅の住民に対して、コミュニティ交流員を配置して、原発事故により被災し避難生活を続ける住民の支援を行っています。またJPFの共に生きるファンドにて、災害救助法による災害公営住宅の津波被災者に対して、自治会支援を行いながら複数の支援団体を取りまとめて支援活動の調整を行っています。みんぷくの関係するネットワークへの参加団体はおよそ70団体です。いわきは浜通りの広域津波被災者を抱え、双葉8町村からの原発事故避難者をもっとも多く抱える地域であり、住民との軋轢などの課題も多く存在します。

   今回研修をお願いした白石先生は、震災直後JPFとも関係のある「JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)」という日本で最初のNGOから釜石にカウンセラーとして派遣されていました。また岩手の遠野や福島の中通りや山形で、支援活動を行うスタッフに対して同様の研修を行ってきました。これまでに福島浜通りのいわきでも、「みんぷく」や小名浜の「ザ・ピープル」という団体に対して数回にわたり研修を行ってきました。最近ではいわきの「いのちの電話」の支援員にも研修を行っています。

   今回の研修のきっかけは、宮城で応急仮設住宅や災害公営住宅の支援を行うスタッフや団体に対して、後方支援や研修事業を行っている「宮城県社会福祉士会」との情報交換会で打ち出されたニーズに対応するものであります。情報交換の中で、「みんぷく」ではコミュニティ交流員への対人支援の研修を行うにあたり、外から有名な方を招いて研修プログラムをやりたくても費用が高くて難しい等の課題が挙げられました。また、「いわき~ふたばネット」の中でも、今や支援者の支援疲れが顕著になり、グループ内の人間関係もギクシャクしたり、トゲトゲしたりしてきているので、支援者向けの心のケア、ストレスマネージメントの研修が必要との声がありました。

 こうした状況を背景に今回の研修が行われました。いわき市や浜通り双葉郡で、応急仮設住宅や復興公営住宅、災害公営住宅などを対象に支援活動を展開しているNPOスタッフや、コミュニティ交流員を中心に20名ほどの参加がありました。

 研修では、まず支援者の心を癒す研修。スキャニングといって頭の上から足先まで自分の体の中を探って行き、痛いところ、弱いところなどを探っていきます。それを絵に描いて、何人かで隣の人に回していきます。受け取った絵にみんなでそれぞれ手を加えていくと、最後に元に戻った時、おもしろい、不思議な、素敵な絵に仕上がっていきます。それぞれの絵について、みんなそれぞれ説明するのですが、私の苦しみをみんなが癒してくれた、私の痛みをみんなが温めてくれたなどの意見が相次ぎました。不思議と肩や首、腰の痛みが本当に消えたという話もありました。f:id:japanplatform:20171026144611j:plain

 次にはコミュ二ケーションスキルについて学びました。繰り返し、ペーシング、相手の深みに留まること、肯定の声掛けなどについて学びました。そして釜石での実際のケースやいわきで想定されるケースを用いてコミュニケーションのトレーニングを行いました。
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参加者からは
・実際のワークでみんなに支えられていることが分かり、心が癒された。
・誉める、誉められることにこんなに効果があるなんて驚いた。
・すごく楽しい研修だった。毎週でも受けたい。
などの声が多数きかれました。f:id:japanplatform:20171026144827j:plain
 今回様々な支援関係者が影響しあって実現できたプログラムですが、JPFは復興庁コーディネーター事業の一環で今後もこうした研修を引き続き行っていきたいと思います。

ジャパン・プラットフォーム(JPF)
山中

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福島県南相馬市小高区の<最近の様子>

皆さん、こんにちは。
JPFプログラム・コーディネーター(福島担当)の池座です。

今回は、海・山・川の自然の豊かさがあり、神社をはじめ歴史が感じられ、魅力的な人たちに出会える、福島県南相馬市小高区の「最近の様子」をお伝えしたいと思います。一度は行かれたことのある方も多い場所ではないでしょうか。

小高区は、今から約1年と3ヶ月前の2016年7月12日に避難指示解除およびJR小高駅の再開を果たし、その後、人口が数百人、1000人、1500人、2000人と徐々に戻りはじめ、2017年9月末時点で約2200人※(震災前は約12800人)を超える人々が暮らしています。※http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/10,853,58,html

〜若者の姿が見られるようになりました〜

とくに最近の目に見える変化としては、街に多くの若者の姿が見られるようになったことです。今年の4月に幼稚園、小学校、中学校が再開し、高校も開校して以来、小高駅から学校までの間の道のりをふざけ合いながら通学していたり、途中の食堂の前で並んでいたり、グラウンドで部活動に励む学生の姿を見ると、なんだか嬉しい気持ちになります。
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▲小高駅前で電車やバスを待つ高校生たち


〜双葉食堂+お寿司屋さん、お蕎麦屋さん、居酒屋さん〜

食べる場所も、発災後はじめてオープンした双葉食堂に続き、お蕎麦屋さん、お寿司屋さん、居酒屋さんもオープンし、外食を楽しむ場所も少しずつ増えてきています!f:id:japanplatform:20171016105821j:plain
▲地元の方が“とても美味しい”と言っていた浦島鮨

【参考情報】
浦島鮨
https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7001282/dtlrvwlst/COND-0/smp1/D-visit/?lc=0&rvw_part=all

双葉食堂
https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7005353/dtlrvwlst/COND-0/smp1/D-visit/?lc=0&rvw_part=all

十割そば こごた https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7007906/

居酒屋 更紗(さらさ)https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7014034/


〜エンガワ商店+コンビニも〜

食材やお弁当、生活備品・雑貨などを買いたい時は、南相馬市と地元企業(ワーカーズベース)によって駅前に設置・運営されている仮設スーパー「東町エンガワ商店」がオススメです。昨年秋にはローソン小高店、ファミリーマート小高店がオープンし、買い物をする際の選択肢も広がってきています。
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▲東町エンガワ商店街(外にベンチが設置されました)

【参考情報】
東町エンガワ商店街(小高ワーカーズベース)http://owb.jp/projects/engawastore/
ローソン小高店(福島民友)
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/10/post_14338.html


〜双葉屋旅館+ゲストハウスが出来るかも?〜

地域外から来られる人にとって重要な泊まる場所ですが、小高区を訪れる人にとって、宿泊場所として真っ先に思い浮かぶのは小高駅前にある双葉屋旅館ではないでしょうか。小林さんご夫婦で営むこの旅館は、小高区で宿泊できる貴重な場所であることは言うまでもありませんが、そのほかに地域の情報を得ることができ、地元の人や地域内外、海外からの訪問者に至るまで小高を想う多くの人々が出会い繋がり合う拠点としても大活躍しています!

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▲双葉屋旅館

双葉屋旅館の他にも、小高でゲストハウスをつくりたい!という方もいるとかいないとか!?

【参考情報】
双葉屋旅館 http://odaka-futabaya.com/

〜小高の女性に魅力的な職場 HARIOランプワークファクトリー小高〜

全国のガラス職人が手づくりで作ったガラスのアクセサリーを全国的に販売しているHARIOランプワークファクトリー社と小高の地元企業(小高ワーカーズベース)が協力し合い設立した『HARIOランプワークファクトリー小高』。ガラスごしに外からも工房での作品制作の現場を見ることができ、商品を購入することができます。地元の女性に魅力的な仕事と働きやすい環境を創出することを目指し設立されたとてもオシャレなお店です。
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▲HARIOランプワークファクトリー小高

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▲小高に100の仕事を興すことを目指す「小高ワーカーズベース」本社

〜住民+よそ者、若者、ばか者?が集まる 新生おだかぷらっとほーむ〜

小高の暮らしをより楽しいものにするために小高の女性3人が中心となり2015年秋に立ち上がった“誰でもぷらっと立ち寄れる家” 「おだかぷらっとほーむ」。ここは、「地元で暮らす人」「一時帰宅する人」「還ってくることを検討している人」「お墓まいりにくる人」「小高に観光や興味をもってくれて来てくれる人」「支援・応援に駆けつけてくれる人」などを対象に、小高に来た時にいつでも立ち寄れるところがある、誰でも気軽にぷらっと立ち寄れ、住民、若者、ばか者と触れ合い、楽しいこと、必要なことが生まれてくる、そんな願いでつくられた場所です。ちちらも、最近、(近くではありますが)引越しをし生まれ変わりました!
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▲新しい「おだかぷらっとほーむ」(運営主体:小高工房)

おだかぷらっとほーむでは、発足以来、月に1回、第4金曜日の13時〜15時あたりに、住民組織や南相馬市内でサロン活動や環境保全活動を実施する団体や、その他県内外から小高を応援する関係者が集まり、情報交換をする「おだかぷらっとほーむ定例会議」を実施しています。(どなたでも参加可能)
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▲設立以来、小高に関わる人たちが毎月集まり情報交換する定例会議の様子

定例会議のプログラム構成や話し合われる内容も、小高の環境の変化により変わってきています。これまで2時間ほどの情報交換の場であった定例会議ですが、最近では、重要なテーマに関して興味のある人で深掘りして話し合う時間も加わりました!

例えば、9月22日に開催された前回の定例会議では、「4月に避難指示解除になった隣町の浪江町でぷらっとほーむの様な場をつくりたいが、小高のネットワークの経験・知見をうまく移行できないか」「Uターン者・移住者が少し見えてきたが、もっと多くいる可能性があり、どう新しい人たちと繋がり合えるか」などが話し合われました。f:id:japanplatform:20170922184949j:plain
▲県外からの学生や移住者も交え、皆で移住定住に関して意見を交わし合う

夕方からは、移住者を交えた小高に関わる人同士の交流会(BBQ・芋煮会の様なもの)を実施し、街に賑わいをつくり、誰でも気軽に立ち寄れる場を試行的につくることになりました。交流会の準備から皆んなで楽しく協力しながら行うことで、さらなる交流の効果が期待されます!(大変過ぎると続かなくなる不安も感じながら・・・笑)  今回のメインディッシュである「大蛇巻き」にみなで挑戦!昭和61年に小高で住民約2500人が集まり842メートルのジャンボのり巻きづくりに挑戦した記憶から、今回の企画が浮上したらしい。(ギネスブックに掲載されたかは不明・・・)f:id:japanplatform:20171016111120j:plain
▲交流会に向け、小高の歴史にまつわる「大蛇」をモチーフにした手巻きすしづくりの様子

夜は、大蛇のり巻きを頂きながら、外で焼き鳥を焼く人や、ギターを弾きながら歌う人や、部屋の中で議論を重ね合う人など、思いおもいの交流がうまれていました!f:id:japanplatform:20170922185019j:plain
▲夕方からの第1回交流会。BBQをしながら移住者やボランティアに来た学生が音楽を楽しむ様子。

【参考情報】
おだかぷらっとほーむ
http://3bplus1-odaka.jp/(おだかぷらっとほーむHP)
https://www.facebook.com/3bplus1/(おだかぷらっとほーむFacebook)
https://mainichi.jp/articles/20170619/ddl/k39/070/345000c(毎日新聞)

小高では少しずつではありますが、学校の再開や、お店や事業所の開設、Uターン者・移住者の増加、地域住民の大きな課題となってきた調剤薬局の不在(病院で処方箋をもらっても薬を得る場所がない)が解消されるなど、徐々にではありますがポジティブな動きも生まれてきています。(新聞の配達サービスがないなど課題は残ってはいますが)

ぜひ、一度行ってみたい!久しぶりに行ってみたい人はお気軽にご連絡ください♪

以上、ほんの一部分ではありますが、地域コーディネーターから見た最近の小高の子をお伝えしました。

JPF 地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)
池座

ジャパン・プラットフォーム(JPF)本サイト 
http://www.japanplatform.org/