ジャパン・プラットフォーム(JPF) 公式ブログ

緊急人道支援組織、認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)のブログ。NGO・経済界(経団連、企業など)・政府(外務省など)が連携し、国内外の緊急人道支援を実施。寄付金・募金受付中。

第3回JVOAD全国フォーラムに行ってきました

こんにちは!
ジャパン・プラットフォーム(JPF)東京事務所の田中です。

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パンダのシャンシャン(香香)の誕生日であった6月12日(火)と翌13日(水)の2日間、JVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク)主催のフォーラムに、昨年に続き参加してきました。会場は昨年同様、両国の国際ファッションセンター(KFCホール)でした。

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昨年は、国技館で大相撲5月場所が開催されていましたが、
今年のフォーラムは6月だったので、大相撲は開催されていませんでした(写真は昨年のものです)。

昨年、「稀勢の里が横綱に昇進して横綱が4人となった相撲トランプを記念に後日買いに来る」とこのブログに書いていましたが、結局買いそびれてしまい、幻のトランプになってしまいました。

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会場付近の海抜は、昨年と変わっていないようです。

JPFオフィスを出発する際、渉外部スタッフに「今日は、ちゃんこ!」と言われました。そうです。会場が両国なので、確かに「今日は、ちゃんこ!」です。フォーラムは午後からなので、「ちゃんこは夜に」ということになります。

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午後1時の開始とともにオープニングセッションとパネルディスカッション「災害対応と連携の新たな動き」がスタート。午後の分科会ではJPFの柴田緊急対応部長がコーディネーターを務める分科会5に参加しました。

昨年は、分科会のタイムキーパーを僕が担当しましたが、今年の担当者は昨年よりキッチリと時間管理していたので、時間に余裕ができ、パネリストの方々の追加のお話を聞くこともできました。

そしていよいよ「今日は、ちゃんこ!」の時間となる夕方。地域事業部スタッフからちゃんこのお店の情報をもらいました。そのお店は、そのスタッフがその日のランチでちゃんこを食べた後に見つけた「こっちの方が良さそうに見えた」お店だとのことでした。

ちゃんこに一緒に行く人を募らなくてはと思ったのですが、教えてくれたスタッフは、「昼にちゃんこを食べたし、夜行くと本格的にスカウト(相撲部屋に)されてしまうから」とのことでお断りされました(笑)。ほかのスタッフも用事があったようで、結局一緒に行く人を募ることができませんでした。

でもここは、「地域事業部ブログ」のためにも今日はちゃんこを食べなくてはならないという強い使命感から、教えてもらったお店に向かいました。

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到着して入店してみると、竜宮城の様な、非常に良いお店でした。僕が所属している部の連携調整機能(今回はお店を教えてくれたスタッフから僕)の完成度の高さと、自己犠牲の精神(まず身を挺して自分が失敗してから他の人には良いお店を教えてくれる)を感じました。
お店は、僕よりも若い40歳とのことでした(写真の右下をご参照ください)

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ちゃんこはこんな感じでした。着物の袖が写っていますが、着物を着たお姉さんが、ちゃんこを作ってくれました。

ちゃんこを食べ終わる頃、〆に鍋に投入するものを勧められました(雑炊、うどん、ラーメンがあるそうです)。

健康診断を1週間後に控えていたので、かなり迷いましたが、「〆を投入しないとちゃんことして完成しないのではないか?」という言い訳を思いつき、結局1番人気っぽい雑炊を頼んでしまいました(心の片隅には全部食べずに味をみて、残してしまえばいいやという気持ちもあったのだと思います)。

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あまりにも美味しかったので、一粒残らず食べてしまいました。「おかわり!」と言いそうになりましたが、思いとどまりました。

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店内はこんな感じでした。

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これは天井の写真です。

ちゃんこ自体は勿論のこと、お店の雰囲気、サービスと比較すると、格段にお手頃なお値段でいただくことができました(お店を教えてくれたスタッフに感謝!)。

昨年の流れを踏襲して、今年も吉祥寺で途中下車して、「カオス」というバーに寄りました。このバーのオーナーバーテンダーの香織さんは「クローバープロジェクト」というネーミングで東日本大震災の復興支援活動をされています。ここで香織さんが、その「クローバープロジェクト」の「チャリティコンサート」の前売り券を、僕が購入していたことを思い出させてくれました。

「クローバープロジェクト」にご興味のある方は、以下のサイトをご覧になってみてください。https://www.facebook.com/Kurobapurojekuto/


翌日の6月13日(水)は9時30分から全体セッションがスタート。会場で、前日に夜のちゃんこに誘ってみたもののさらっと流されてしまっていたJPFの「マダム」と言われている人から「昨日は、ちゃんこ食べに行ったの?」と聞かれました。写真なども見せながらすごく良いお店だったと説明したところ、その「マダム」と「頼れるお姉様風」のスタッフと一緒に、前日に行ったお店にちゃんこのランチを食べに行くことになりました。

お店に着いて「ここは元お相撲さんがやっているの?」というような話をしていたところ、お店のお兄さんが気を利かせてお店の説明のパンプレット(全8ページの豪華版)を持ってきてくれました。

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「これを見れば全て分かります!」とのことでしたが、ご婦人方お二人には各一部ずつくれたのに僕にはくれないという、絵に描いたような笑える状況になってしまいました。お二人が同情してくれて、「ブログを書くんだから」ということで一部を僕にくれました。

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ちゃんこのランチは、こんな感じでした。こんなに盛沢山なのにこのお値段っていう感じの良心的な値段設定でした。2日間で2度美味しいちゃんこになりました(前日は塩味でしたが、このランチは醤油味でした)。

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午後は、JPFの柴田緊急対応部長がパネリストを務める分科会8に参加しました。

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分科会の後、クロージングセッション「協働でつくる災害支援の未来」に参加し、その後JPFの事務所に帰りました。

JVOADのフォーラムにご興味がある方は、以下のサイトをご覧になってみて下さい。

http://jvoad.jp/

https://www.facebook.com/jvoad/


時は変わって6月16日(土)、JVOADのフォーラムの初日の夜に前売り券を購入していたことを思い出した「クローバープロジェクト」の「チャリティコンサートVol.7」「夢と不思議を翼にのせてⅡ」に行ってきました。

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会場は、吉祥寺にあるライブハウス「スターパインズカフェ」というところでした。

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会場では、被災地応援グッズが販売されていました。てぬぐいの包装紙ののしには「クローバープロジェクト」の文字とマークがありました(見えにくいですが、写真の左側に写っています)。Tシャツの左胸の「We♥東北」のマークは、このチャリティコンサートの出演者のカズ・カタヤマさんというマジシャンの方がデザインしたとのことでした。

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手作りキャンドルも販売されていました。このキャンドルには、野蒜海岸の砂と貝がらをとじこめてあるとのことでした。「水に濡れても消えないキャンドルなので、一家に一個あると災害のときに良いですよ」とのことでした。

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東松島などのパンフレットなども置いてありました。

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チャリティコンサートには、カオスでお知り合いになっている、ソプラノ歌手の吉村美樹さんとマジシャンの一太郎さんが出演していました。その他にカズ・カタヤマさんというマジシャンの方も出演していました。

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一太郎さんの演技の様子です。

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吉村美樹さんの演技の様子です。ピアノは岩間麻里さんです。

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カズ・カタヤマさんの演技の様子です。途中から、吉村美樹さんと岩間麻里さんとの共演でやっていました。

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演目の合間に、「クローバープロジェクト」の活動報告がありました。

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パネリストも登場して説明していました。

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パネリストが説明している写真もう1枚。

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活動報告の後にはEsquisses de Voix(エスキス・ドゥ・ヴォア)という高校生を中心としたコーラスグループのコーラスなどもありました。Esquisses de Voixは、「声のデッサン」という意味だそうです。2017年に設立したばかりのコーラスグループとのことでした。

いろいろ盛り沢山で、楽しいチャリティコンサートでした。

地域事業部(2017年4月1日より、国内事業部から名称を変更しました)

田中

 

写真はすべて©JPF


http://tohoku.japanplatform.org/ 

熊本地震から2年

 こんにちは。地域事業部の斎藤です。

 2016年4月14日、および4月16日に発生した震度7の地震、そして震源地を移動しながら大きな余震が続いたあの地震から、2年が経ちました。
 私が14日の地震を知ったのは、宮城の出張に行っていた時で、地震速報の「熊本で震度7」に驚き、急いでホテルのテレビで確認したのを覚えています。東京に戻ってからは、初動対応に追われ、JPF加盟団体はじめ関連する様々な団体や、被災された皆様のお知恵を頂戴しながら、夢中で過ごした2年でした。
 熊本では3年目に入るこの時期、様々なイベントが開催されました。私たちは15日朝から熊本入りし、まず西原村を視察しました。昨年11月にも訪れていて、その様子は以下のブログに掲載しています。
「熊本復興支援に必要な力を身につける活動研修事業」について、お知らせします。
2017-12-16
http://blog.japanplatform.org/entry/2017/12/16/195223
 未だ道路の通行止めが散見され、山肌は崩れたまま、家の土台部分もブルーシートで崩れを防止したお宅が多数あり、5カ月経っても変わらないように見えました。

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2018年4月の西原村の様子 ©JPF

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西原村唯一の建設型仮設住宅、小森仮設団地 ©JPF

 私自身、この仕事をする前は「仮設住宅に入れば、復興が進むようになる」と何となく考えていたところがありましたが、とんでもない間違いであったと痛感しています。
 また「仮設住宅」というと建設型のプレハブ住宅だけを思い浮かべがちですが、東日本大震災と同様、既にあるアパートや公営住宅をとりあえず仮の住まいとする「借上型仮設住宅=みなし仮設住宅」もあります。みなし仮設住宅に入居している戸数は、熊本地震では建設型仮設住宅の約3倍以上あります。当時空室であった通常の住居にバラバラに入居するため、外から被災者と分かりづらく、情報や支援が行き届きにくいことが指摘され続けています。
 3月末時点で、3万8000人以上の人々が、未だに仮の住まいでの生活を続けられています。
〇応急仮設住宅等の入居状況(H30.3.31現在)
http://www.pref.kumamoto.jp/common/UploadFileOutput.ashx?c_id=3&id=19798&sub_id=14&flid=144749

 さて、午後からは、JPFと共に復興に取り組む、特定非営利活動法人くまもと災害ボランティアネットワーク(以下「KVOAD」)が主催した【地域コミュニティ再生から見る震災後の熊本の未来】に出席しました。
https://www.facebook.com/events/1473334676128810/

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KVOAD 共同代表 樋口さん ©JPF

 登壇者は、現地で被災しながらも支援活動を続ける方々の他、東北や神戸・中越からも力を貸してくれているみなさんが集まりました。内容の一部を紹介します。
 基調講演をされた神戸まちづくり研究所の野崎隆一さんからは「一人ひとりの状況を、時間をかけて丁寧に聞き、適切なアドバイスをしたり専門家などにつないでいくのは、行政には難しいが民間団体だからこそできる」こと、また、KVOADの樋口務さんからは、発災当初からの支援ニーズの移り変わりを、Panasonicと協働して分析したプロジェクトの報告がありました。
 東日本大震災後、Uターンして岩手に戻り活動を続ける、いわて連携復興センターの中野圭さんからは、「復興の主役は地元の人間。仕組みよりも“気合い”」という、自分たち自身の思いと意志の大切さを伝えてくれました。
 益城町の避難所時代から被災者自身で日常を取り戻していくことを大切にしてこられ、現在は仮設住宅に住み支援者としても精力的に活動を続けている、益城だいすきプロジェクト・きままにの吉村静代さんは、震災以前から長きにわたり活動してきたまちおこしの経験を活かし、中野さんと同じく「主役はわたしたち」であること、「できる人が、できることを、できたしこ*(*熊本弁で、できる分だけ)」「顔の見える関係づくり」についての報告をしてくださいました。
 イベントが終わると、一同は懇親会に集結、熱い話で盛り上がりました。多くの地域から集まる人々の顔を見ていると、「ここはどこ?東北?東京?熊本?!」状態でした。
 このような場での繋がりでは、お一人おひとりの思いをご自身の飾らない言葉で話してくださるので、深く感じ取ることができます。

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左から、いわて連携復興センター・鹿野さん、カセスル熊本・金田さん、右手前、きままに・吉村さん ©JPF

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中央奥、この日唯一の20代?今後の活動について明確に希望を発言する、熊本大学災害ボランティア sunflower・大坂君 ©JPF

JPFの熊本支援も3年目に入ります。仮設住宅から自宅再建し戻られる方、一方で仮設住宅に残られる方など、それぞれの動きがバラバラになり、個別の丁寧な支援が必要になる長いフェーズになります。これからが生活の再建の本番といってもいいでしょう。

被災しながら支援を続ける方もたくさんいらっしゃいます。JPFは引き続き、現地の皆様のお知恵を頂戴しながら、お役に立てるよう尽力してまいります。

今後引き続き、まだまだこれからの熊本の様子に注目してください。

応援とご支援を、よろしくお願いいたします。

地域事業部 斎藤

▼JPF熊本地震被災者支援(九州地方広域災害被災者支援)サイトはこちら

www.japanplatform.org

 

子どもに何を伝えたいですか? ~川内っ子を育む井戸端会議~

こんにちは。

ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部の山中です。

2018
412日木曜日、新緑が眩しい福島県双葉郡川内村のコミュニティセンター2階にて夕方午後6時より、JPFが支援する川内コミュニティ未来プロジェクト主催の第一回「川内っ子を育む井戸端会議」が開かれました。

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川内村は原発事故後、比較的早く避難指示が解除され、帰村宣言が出されたところです。現在帰還率も70%となっていますが、子どもの半分は戻りませんでした。
このプロジェクトは戻った子どもにも、戻らない子どもにも、川内の自然と、自然と共存してきた生活、文化のすばらしさを伝えていこうという企画です。
そして伝える中で新しいコミュニティを未来に向けて築いていこうというプロジェクトです。

「川内っ子を育む井戸端会議」では、約30名の川内エリアの地元村民と外部から川内村を支援する人が一緒になって、川内の子どもに何を伝えたいか話し合いました。
非常に胸の熱くなる、涙が溢れ出る、内容の会議であったと思います。

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次回の集まりでは、子どもの声を聴き、川内村のオルタナティブ教育や学校外教育に反映させていく予定です。

尚、この事業は昨年度より復興庁CDN事業の支援を受けています。

ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部 山中努

▼以下の写真はすべて(C)JPF

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tohoku.japanplatform.org

 

NPO活動における会計講座を開催

こんにちは。
ジャパン・プラットフォーム(JPF)の藤原です。

震災から7年が経ち、福島の避難指示解除地域では、徐々に人が戻りつつあり、新たなイベントやしばらく休止していた富岡町の『桜まつり』が復活するなど、春の知らせを感じるようになってきました。 JPFでは、東日本大震災の被災者支援を行う中で、福島県の『浜通り』地域と、いまだ避難者の多い中通り・会津・県外地域との両方を対象に、復興等の活動を行う市民活動団体の支援に力を注いでいます。

福島県全域で言えることは、震災以前より、『お祭り』など生活の一部となっている地縁活動は非常に活発で、住民同士の結びつきも強かったのですが、いわゆる法人格や団体としての要件を明示的に整えた、組織化されたNPOやボランティア活動はそれほど盛んではありませんでした。 また、避難生活の長期化や地元への帰還の過渡期ということもあり、数少ないNPO団体は、年を追うごとに仕事量が増え、少ない人員や経営資源の中で、事業が急拡大しているところが多いです。

一方で、これまでも内陸のいわゆる福島県中通りでは、適宜必要な会計講座などが地元の中間支援組織等を通して行われていましたが、浜通りからの参加は距離的な要因もあり、限定的でありました。なかなか浜通りでは会計講座に参加できる機会がないという声も実際にありました。 そのような団体の方々に対し、事業立案や運営の支援を行うメニューの一つとして、会計に関する講座を12月に開催しました。(復興庁「被災者支援コーディネート事業」の一環) 講座には、JPFの顧問公認会計士である高野寛之先生(高野寛之公認会計事務所)をお招きし、NPO活動における会計に関する基礎的な内容に関する講義や各団体個別の課題についての相談に対応いただきました。

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高野寛之先生(C)JPF

(法人格のある)NPOの会計は、NPO法人自体が、他の法人に比べ、歴史が短く、その会計基準が整備途上にある点や、『収益』に関するとらえ方のNPO法上と税法上の違いに対する誤解など、難しい点がいくつかあります。 今回の講座では、主に企業会計にも、NPO会計にも精通されている高野先生から、その違いに焦点を当て、わかりやすく説明を頂き、予算遵守のNPOに対し、決算が重要視される企業の会計に関して、決算書の認定機関が理事会や社員総会であることなどについて説明を頂きました。

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8団体12名の参加(C)JPF

それらの違いに関する説明に加え、

・試算表の活用について(ミスの早期発見)
・補助科目を使った効果的か会計ソフトの活用
・会計士との『クラウド』サービスを通じた効果的な連携
・会計事務所との付き合い方や会計の外部化・内部化について、など、
実務に効果的なアドバイスもありました。

 

また、個別の相談では、
『クラウドファンディング』の取り扱いについて
『認定NPO法人』取得について
など、数年前では出されなかったような、資金調達方法の多様化や
寄付文化の浸透を感じざるを得ない質問が多数寄せられていました。
このほかJPFでは、コミュニケーション講座など対人関係の円滑化といった
支援を通して、団体の活動促進などを行っています。

f:id:japanplatform:20180328110122j:plain(C)JPF

ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部 藤原

東日本大震災の現場のご紹介

今年の冬は雪が降ります。日本海側ほどではありませんが、すっかり雪景色の仙台より岩手、宮城担当の三浦です。みなさま、お住まいの地域はいかがでしょうか?大雪に見合われている地域でこれ以上の被害が出ないこと祈るばかりです。 

ところで、東日本大震災の現状についてどのように情報を入手されていますでしょうか?新聞やニュース、団体のHP、JPFもできる範囲で情報発信させていただいており、様々な形でアンテナを張られていると思いますが、現場の声、特に人の‘想い’や‘感情’まで知ることはなかなか難しいのではないかと思います。  

そんな中、現場の熱量、人の想いを知る手段としてクラウドファンディングをご紹介します。JPFは復興から取り残される方がいないよう、広い視野で被災地全体の課題を捉えるよう努めていますが、どうしてもお手伝いしにくい地域や分野が発生します。

今回、JPFからの情報発信に乗りづらいですが、地域担当として特にみなさんに知っていただきたい3つの事業を紹介します。

 一つ目は、宮城県丸森町筆甫(ひっぽ)地区のチャレンジです。

丸森町は宮城県の最南端、福島県との県境に位置し、自然豊かな里山に囲まれた桃源郷のような地域です。震災前は恵まれた自然環境を活かし、都会からの移住定住者を積極的に受け入る先進地でしたが、東日本大震災発災後はすべてが一変しました。

地域活性化として力を入れていた山菜、キノコやイノシシ肉などは汚染され、移住の動きも全て止まりました。

放射線 の影響という観点で県境にはまったく意味がありません。しかし、支援策としての県境は大きな壁となり除染や保証の部分で丸森町は大きな苦労をしています。内陸部にあたるため津波被害がなく外部支援団体はほとんど入っていません。孤立無援の先の見えない状況の中、住民のみなさんは様々な試行錯誤を繰り返し、今大きなチャレンジを行っています。筆甫の現状、住民のみなさんの想い、どんなチャレンジをしているのか、是非是非、以下リンクをご一読ください!

 丸森町筆甫に地域を再生させる「ひっぽのお店」をつくりたい!

https://readyfor.jp/projects/hippo

 二つ目は、「津波復興祈念資料館・閖上の記憶」のチャレンジです。

名取市閖上地区にある閖上の記憶は、発災当時の映像や津波の痕跡の残る遺物、また語り部の拠点として、語り部タクシーの巡回ルートにも入るなど、東日本大震災で亡くなられた方に想いを寄せ、教訓を学ぶための民間施設として重要な役割を果たしています。

被災地である閖上に存在し、閖上で語ることを大切にしてきたため、復興計画に伴うかさ上げ工事で移転を余儀なくされてきました。慰霊の施設や伝承施設は宮城県内に複数ありますが、民間の施設として多くの映像と記録を残し、語り部活動を行っているところは稀です。この施設が現在存続の危機に陥っています。

閖上の記憶の現状と今後の計画について是非以下をご覧ください。 

 「津波復興祈念資料館・閖上の記憶」恒久的施設へ!

https://readyfor.jp/projects/tsunami-memorial

 三つ目は福島県浪江町で行われているチャレンジです。

原発事故により全町避難を余儀なくされた 浪江町は2017年3月31日に一部避難解除になりました。震災前約21,000人の住民がいた浪江町ですが、一部避難解除になった後、2018年1月現在、約500人の方が戻られた状況です。震災前の人口の約2%しか人がいなくなってしまった浪江町。そんな浪江町の中心部に町民はもちろん、浪江町を支援したり、ボランティアする方たちの交流拠点となるゲストハウスをつくろう!というチャレンジが始まっています。避難指示解除後の地域支援は何から始めたらよいか私も悩みます。とはいえ、最初の一歩がなくては何もスタートしません。勇気ある最初の一歩、是非関心を持っていただけるとありがたいです。

 震災で町民が0人になった浪江町に人が繋がり集う場所を作りたい

https://readyfor.jp/projects/14815

  東日本被災地にはご紹介しきれない多くのチャレンジがまだまだあります。被災地の復興は、こういった小さなチャレンジの積み重ねで成し遂げられるのだと思います。チャレンジを応援するJPFでありたいと思いますし、チャレンジに優しい被災地に、そしてチャレンジに優しい日本をみなさんと作りたいですね。

今回事例を紹介できなかった岩手県では、岩手県に限定したクラウドファンディングを集めたサイトがあります。岩手のチャレンジを応援したい方、以下サイトをご覧ください。

いしわり ~岩手をもっとおもしろく! 岩手発のクラウドファンディング~

http://ishiwari.iwate.jp/

 東日本への継続的関心をいただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。

 

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JPFと私。

はじめまして。
12月からジャパン・プラットフォーム(JPF)のメンバーとなった新人の阪田です。
といっても、一般企業を満期まで勤めて卒業し、その後、ある公益財団の運営に携わってきました。少し歳を重ねた新人ですが、どうぞよろしくお願いします。

企業では、耐久消費財メーカーとしてのマーケティング、宣伝、広報、そしてCSRなどの部門を担当してきました。東日本大震災が発生したのは、ちょうど私がCSR部門を担当している時でした。歴史の浅いCSR部門として、このような大規模災害に向き合うのは初めての経験でしたので、日々、何をなすべきか、右往左往しながらこの時期を過ごしたことを記憶しています。

私がJPFのことを知ったのはこの時が初めてでした。このブログを読んでくださる方には企業のCSRのご担当者も多いと聞きますので、企業人時代の私とJPFの出会いについて少しお話をしてみたいと思います。 

陰徳と陽徳という言葉があります。陰徳とは、人に知られないで善行を行うことをいい、陽徳はその逆で、あらわに人に知られる徳行をいいます。私の所属していた会社は商品ブランドも含めて、比較的認知度の高い企業でしたが、あえて独断で言わせていただけば、その種の企業であれば、大震災の発生時における行動規範は、決して陰徳を選択するということはなく、まずは陽徳を選択する、といっても過言ではないのではないでしょうか。創業者が強いイニシアティブを持つオーナー企業であれば、オーナーの考え方で陰徳を選ぶことはあるかもしれませんが、一般的には陽徳であるのが普通であると思いますし、もっと踏み込めば、この機会に社会に貢献したい、そしてその事実を広く知らせたい、というのがCSR部門を受け持つ、私自身の本音でした。

長年かかって築き上げてきた自社のブランド価値を、震災を機に、低下させてはいけない。したがって誤った対応はできません。さらに社会から期待されるレベルの対応は実施し、当然、ブランド価値を維持し続けることが最低限守るべき事項です。また、この不幸な出来事がきっかけではありますが、その後の企業の在り方次第では、これを契機に更に好感度の高いブランドとなることも可能かもしれません。そのためには、震災に際して、「私たちはこのように考えて、こうした、こうし続ける」ということを積極的に表明していかなければなりません。それが、社会からの信頼を勝ち取り、強いブランドを作っていく要素であるからです。

経営者のアクションとして、震災発生時にすぐに考えるのは寄付のことでしょう。多くの経営者にとって、まず頭に浮かぶ大変なじみのあるいくつかの団体があります。それらは当然、視野に入れるとしても、それだけでは企業の独自色が出せません 。

といっても、震災後すぐに現場に飛び、懸命な支援活動している数あるNGOの一つ一つを吟味しても、どこに何をしていいのやら、結論が出ませんでした。そんな時に、私はJPFを知りました。JPFに寄付すれば、そこから現場で活躍するNPOへ、いますぐに必要な資金が、速やかに効率的に助成されると聞きました。その選択がが、いま苦しんでいる人々への大きな支援になるのではないか。従業員も、そういう対象先を重視している自社の活動に、強い誇りを持つのではないか。そう考えたのでした。

経団連の関連組織である1%(ワンパーセント)クラブの会員向けニュースの中で寄付先のひとつとしてJPFが紹介されたこと も、企業人としては目からうろこでした。私はそのことに強く着目しました。このことは、企業のCSRの担当者にとっては、自社の経営者に、なぜわが社は、支援団体としてJPFを選ぶのか、という説得を強く後押しする結果となるからです。

JPFは人道支援活動を行っている多くのNGOと経済界や公的機関が共に支援を行う中での特別な存在としてとして 、私の心に強く残りました。企業人である私にとって、これがJPFとの最初の出会いでしたが、もし、この時の経験がなければ、いま、私がJPFのスタッフの一員となっていることはなかったと思います。

歳を重ねた新人として、元企業人としての経験をもとに、これから皆さんに、いろいろなご報告を行っていくことができればとても幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

f:id:japanplatform:20180129110028j:plain※左手前が阪田(C)JPF

ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部
阪田

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地域事業部部長就任のごあいさつ

皆さま
この度、ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部の部長に就任しました池座と申します。

■経歴と原点
これまでの約6年と数ヶ月の間、私は宮城県、福島県に駐在しながら、JPF及び連携団体であるJCN(東日本大震災支援全国ネットワーク)にて地域コーディネーター及びコーディネーター統括として被災地域に関わってきました。

東日本大震災の前は、学生の時に日本とアメリカにて国際環境・人権NGOに関わりはじめ、社会人になりIT関係の事業を自ら運営し週末は仲間とお米づくりや田舎・都市との交流促進を行う傍ら、路上生活者等の生活困窮者へのサポートをしておりました。こういった活動に関わっているのは「NPOや市民活動が好きで社会的に○○したい!」という動機ではなく、「何で人が普通に暮らせない世界が存在しているのだろう?」という幼少時代からのシンプルな疑問、感情がおそらく原点ではないかと考えています。

■新たな立場で大切にしていきたいこと
この度、2018年1月1日より、様々な葛藤を経ながらもJPF地域事業部の部長に就任することになりました。就任にあたり、東北の被災地域だけでなく九州や今後の広域大規模災害を含め、より広い範囲に目を向ける管理職の責務を負う立場になります。

上述の「葛藤」の大きな部分は、東北にこれまで関わってきた自分自身の「本来的な精神」や意義が失われ、傲慢ではありますが、1コーディネーターの東北へのサポート量が微力ながらも減ってしまう、という懸念からでした。

これまで私が東北に関わる上での本来的な精神・信条は「現場・住民・団体の声や状況を基本とし、課題解決に向けて彼女・彼らと共に考え行動していく」というものでした。そして、この葛藤期に様々な関係者や新潟にいる家族とも幾度となく話し合いを重ね、以下のような結論、決心に至りました。
(1)本来的な精神を崩さず、地域駐在員と共に東北(福島)に駐在し続ける
(2)現場の精神・状況をJPF、関係企業・団体に伝え、還元していく
(3)JPFスタッフ同士や他団体ともこれまで以上に連携をはかり、被災地域の課題解決に向けたサポートの質・量を向上させる

■JPF地域事業部としての方針
岩手・宮城県に関しては、残された諸課題(震災により加速化した移動困難者・生活困窮者・地域経済の急激な鈍化及び人材流出など)の解決に向けて、持続的な支援を可能とする組織基盤の強化及び団体同士のネットワーク化をサポートしてまいります。

また、福島県では、昨年大規模な避難指示解除がなされましたが、市町村民の心・想いの置きどころや生活面での困難さなどが、より厳しく複雑な形で襲ってきていると認識しています。(例:避難解除地域のインフラ不整備及び移動困難、仮設住宅及び復興住宅における孤独・孤立・生活困窮、事故の責任所在の不明確さ、放射能リスクの医療的見解の曖昧さ、放射能への不安や不安を周囲に表明しにくい中で生活をする葛藤、経済負担の少ない保養プログラムの減少、子どもの抱える複雑な想い、福島で起きていることの社会的忘却に対する悲しみなど)

こうした山積する課題解決に向けて、地域事業部としては、他の関係組織と連携しながら、避難している人、帰還した人、拠点居住を送る人、放射能へ不安を抱える人、不安なく生活する(と言及する)人など、各々の持つ価値観選択を等しく尊重し、団体への助成サポート、団体同士のネットワーク化のサポート、持続可能な活動継続を目指した組織基盤の強化サポートをおこなっていきます。

熊本地震においては4月で3年目を迎えますが、熊本県を中心に、仮設住宅から自立再建、災害公営住宅の生活へのスムーズな移行を地元の団体やネットワークと一緒に継続していく予定です。

■さいごに
以上、長文となりましたが、これから新しい立場で、東北・九州および将来起こりえる被災地域の復興に少しでも寄与できればと願っております。

若輩者ではありますが、どうぞ引き続きご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

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▲米沢の助成先団体を訪問した際に米沢駅前にて(C)JPF

ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部
池座 剛

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