ジャパン・プラットフォーム(JPF) 公式ブログ

緊急人道支援組織、認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)のブログ。NGO・経済界(経団連、企業など)・政府(外務省など)が連携し、国内外の緊急人道支援を実施。寄付金・募金受付中。

「共に生きる」ファンドのモニタリングで米沢市と郡山市を訪問(JPF東日本大震災被災者支援)

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こんにちは!JPF地域事業部(東京事務所)の山崎です。 

 

JPFでは、約10年にわたり、海外事業、緊急対応、そして、渉外などを担当してきましたが、20198月からは初めて地域事業を担当することになりました。いわば最古参の新人です。地域事業部では主にJPF東日本大震災被災者支援の「共に生きるファンド(以下、「共生き」)に関する事務作業を東京事務所で行っています。共生助成事業の事業内容の変更の調整や実施状況のモニタリングのためにときどき出張もしています。 

 

少し前になりますが、8月の終わりにも山形県米沢市と福島県郡山市に出張しました。JPF東日本の福島担当と、「共生き」助成事業のモニタリング業務を委託している「ふくしま連携復興センターのスタッフの方に同行です。 1日目の道中、道の駅 米沢で昼食。米沢と言えば自分の頭には真っ先に「米沢牛」が思い浮かびますが、米沢牛ステーキは手が出ないので、今回は、米沢牛カレー。

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おなかが満たされた後、「共生き」助成団体の一つ「青空保育たけの子」の活動拠点におじゃましてまいりました。 青空保育たけの子さんでは主に、福島の被災者や米沢に避難した家族に週末などにゆっくりしてもらえるよう、また、子どもたちが自然の中で遊べるよう、米沢で活動を行っています。 「共生き」では、古民家を利用した宿泊施設の運営体制の整備や、「冒険遊び場」の整備、運営に対して助成をしています。 今回の訪問では、宿泊施設にカフェを設置したということで、それも見させていただきました。 

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カウンター席で6席程度のお店は、8月末のプレオープンの時にはカレーやコーヒーなどを準備しているとのことでした。今後も来園者にゆっくり楽しんでもらえるよう、設備やイベントプログラムなどを充実して行っていただければと思います。 

 

翌日は福島県郡山市の「しんせい」に行ってきました。 

しんせいさんでは、主に東日本大震災で被災した障がい者の方々の就労支援活動を行っています。企業や他のNPOと連携して、お菓子やバッグといった様々な製品を生み出しています。 

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「共生き」の助成では、仮設住宅の生活実態調査や支援状況の確認、団体運営基盤強化のためのスタッフの能力強化などを行っています。SDGsの“誰も取り残さない(Leave no one behind)世界”の実現に向けて活動を続けていただければと思います。 

 

JPF 山崎久徳

JPF東日本大震災被災者支援:福島広域こころのケアネットワーク

 

ジャパン・プラットフォーム(JPF)の山中です。

 

今回のブログでは、NPO法人みんぷくによるレポートを紹介させていただきます。みんぷくにはJPF連携調整事業(ネットワーク形成等)や福島の浜通りにおける地域力強化事業などの中間支援活動を担っていただいております。今回は復興支援の課題の一つである「こころのケア」に関するセミナーについて、是非ご一読ください。

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こんにちは。JPFから「東日本大震災連携調整およびモニタリング事業」を委託されておりますNPO法人みんぷく(以下みんぷく)の鵜沼と申します。

 

今年7月から「福島広域こころのケアネットワーク」の活動が始まりました。これは、東日本大震災後、南相馬市で認定NPO法人 相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会(以下なごみ)と認定NPO法人 世界の医療団(以下MdM)が行ってきた心のケア活動を福島県内に広めようと立ち上がったネットワークです。心の傷害は誰にでも起こり得ることであり、健康的で文化的な生活を送るために、住民自ら心のケアに取り組む姿勢が大切であると考え、福島から心の課題に取り組もうとする方々が繋がり合い、専門家とも繋がり、協力し合いながら、新しい心のケアをコミュニティレベル、住民レベルに浸透させ、セーフティネットを広げようと活動しています。

 

運営委員会は、なごみ、MdMF-ACTORの会、一般社団法人ふくしま連携復興センター、JPF、みんぷくで構成され、月一回程度のミーティングを重ねてきました。そして1127日に第一回目のイベントとして「福島発みんなでつくる新しいこころのケア」のセミナーを開催しました。

 

1部では、DMATとして熊本地震の被災地で医療支援活動をし、西日本豪雨ではNGOとして復興支援をし、その後福島県の双葉郡で薬剤師の健康支援事業をしている薬剤師の尾形知美氏に基調講演をしていただきました。前半は岡山県真備町での活動の中で、当時「心のケア」と意識してやっていた訳ではないが、振り返ると心のケアになっていたということを話していただき、後半は双葉郡の医療不足の問題について話題提供してもらいました。東日本大震災前は31の薬局がありましたが、現在では3店舗のみで、住民さんは薬をもらいに遠方まで行かなければならない不便な生活を送っています。子どもの薬を置いていない薬局もあり、体調を崩した子どもを連れて長時間車を走らせなければいけないため、小さなお子さんをもつ親にとっては過酷な現実です。

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2部では「拡大パネルディスカッション大会」と題し、福島県内で心のケアに何かしらの形で関わっている団体に声掛けしたところ、16もの団体が参加してくれました。「会話が生まれ、笑顔が生まれる、交流会自体が心のケア」「(賠償金等の)多額のお金をもってしまったからこそ出てくる悩み」「親の不安は、子どもに伝染する」「若者同士の飲み会が心のケア」「農業を通して心のケア」「傾聴、そばに居続けることを大切にしている」などなど、各団体の普段の活動の中での「心」に関する話がたくさん出てきました。今後期待する事としては、相談できる関係がほしい、どこに繋いだらいいか、などの連携に関する事、そして福島の現状を伝える、発信のことなどが出てきました。

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初めてのイベントで運営委員会のメンバーはどれだけの人が集まってくれるか心配でしたが、当日は16団体ものパネラーが集まるという嬉しい想定外があり、また参加者からもこれだけの団体が集まる場というのは滅多にない、是非第2弾、第3弾も!と感想をいただきました。

 

「心のケア」と聞くと、専門家がやるもの、専門家しかできないものと捉えられがちですが、専門家でなくてもできる心のケアがたくさんありました。被災地には必ず付いてくる心のケアの課題ですが、小さなことから取り組めるし、誰でも取り組めるのです。この活動の輪が広がり、心のストレスが少しでも軽くなるような社会ができることを祈っています。

JPF東日本大震災被災者支援:ふくしまで生活困窮者問題について考える~ふくしまお隣り絡まり寄り添いネットワーク~

こんにちは!ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部の山中です。

今回のブログでは、一般社団法人ふくしま連携復興センター(以下「れんぷく」)によるレポートを紹介させていただきます。

「れんぷく」にはJPF連携調整事業(ネットワーク形成等)や福島の被災地支援における地域力強化事業など、県域の中間支援活動を担っていただいております。今回は福島の課題の一つである「生活困窮者支援」に取り組むための勉強会について、是非ご一読ください。

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昨年度より「れんぷく」はJPFと共に、福島に残された課題のうち「生活困窮者支援」にも対応しようと模索してきました。浜通りいわきに拠点を置くNPO法人みんぷくとも連携・協働し、災害起因による生活困窮者支援の在り方と先駆的な事例について学びを重ねながら、支援者間のネットワーク形成に向けて準備を進めて参りました。 

福島県を取り巻く災害起因の生活困窮の状況は、非常に複雑です。東京電力福島第一原子力発電所事故により避難を余儀なくされた被災者向けの各種支援策(家賃補助や東京電力からの賠償等)も減少傾向にあります。県内外・広域においては、新しい生活環境等により、未だ心身・経済面共に安定していない生活を送る被災者が数多く点在しています。さらに今後、中長期的に生活再建や居住環境整備に課題を抱え、生活困窮状態に陥る方々が増えることが想定されています。このような状況を少しでも軽減できるよう、各種支援策の終了によって生じる課題の包括的な対策が急務となっています。 

今後の生活困窮者支援において協力できる関係づくり、被災者の生活困窮に関わる支援者間のネットワーク形成や相互理解を目指し、勉強会を開催することになりました。 

1回目は、2019920日(金)に福島市内で「ふくしま~お隣り絡まり寄り添いネットワーク形成に関わる勉強会」と題し開催しました。福島県内のNPO等や行政などを含む、12名が参加してくださいました。第1回目は、福島県社会福祉協議会(県社協)の生活自立サポートセンター相談・就労支援員の渡部葉子さんと、二本松市を拠点とするNPO法人福島やさい畑~復興プロジェクト(以下、福島やさい畑)の理事長を務める柳沼千賀子さんのお二人にご登壇頂き、日頃から取り組まれている生活困窮者支援についてお話いただきました。 

渡部さんからは、県社協が取組んでいる事業や各種支援施策、事例についてお話をいただきました。渡部さんは日々の業務に取組む中で「一度生活困窮状態から脱出できても、再び生活困窮に陥ってしまうケースもあるため、あまり気負わないように心掛けている」と話されました。他に「支援する側や専門家(プロ)は、常に謙虚に自分の支援を振り返り学ばなければならない。また深刻さではなく、楽しさにいつもヒントがある」と、ご自身の体験談も交えてお話いただきました。 

次に、福島やさい畑の柳沼さんより、①農家支援活動、②被災者支援、③フードバンク事業についてお話いただきました。「フードバンク事業」では、事例を交えながら、直面している課題や支援対象者が抱えている個別問題等についても触れていただきました。「生活困窮者」と言っても、何処誰がその状態に陥っているかは、団体として把握することが困難であるため、二本松市社協や大玉村社協と連携して、対象者に配布する形を取っているとのことでした。行政側にもNPO等の民間側にも限界があるため、フードバンク事業のみならず、多種多様な事業において、それをお互いにうまくカバーし合える「体制」を創ることを目標にされているとのことでした。

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この「生活困窮者問題」は、今後ますます深刻になることが予想されています。想定される早急に解決しなければならない課題に対し、多種多様な機関が連携しながら支援体制を構築できるネットワークを形成できるよう、引き続き準備に取組んで参ります。 

なお、第2回目の勉強会は、20191211()に福島市内で開催予定です。 

ふくしま連携復興センターJPF連携調整事業担当

▼ふくしま連携復興センターのウェブサイトはこちら
https://f-renpuku.org/

福島市で「ふくしま連携復興センター 台風19号被害対策会議」に参加しました

ジャパン・プラットフォーム(JPF)の山中です。

 はじめに、台風19号による被害の影響で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

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「ふくしま連携復興センター 台風被害対策会議」の様子

 今回のブログでは、ふくしま連携復興センター(れんぷく)主催で、1016日に開催された「台風被害対策会議」について、簡単に紹介させていただきます。実は、同日には、れんぷく主催の「困窮者支援ネットワーク」セミナーが予定されていましたが、台風19号による福島県の各地での被害の甚大さを受けて、急遽、福島県内外の関係者に呼び掛けて開催される運びとなったものです。

 被害状況の調査のために福島入りしていたJPFスタッフも、対策会議に同席いたしました。会議には、福島県内外から行政、企業、大学、NPO、社協等の関係者、約40名が出席し、今後の支援体制案についての意見交換や被害情報の共有などが行われました。

 まず、支援体制作りとしては、福島での支援活動を効果的に実施するために、各団体が参加する「ふくしま災害支援活動プラットフォーム」を立ち上げ、情報収集や発信、外部との連携、資金調達などを統合する案が挙げられ、立ち上げの準備を進めていくことになりました。

 次に、各参加者が把握されている福島県内の被災地の状況や支援ニーズ、その時点での支援の動き、災害対応の知見・経験を踏まえた今後の支援の課題などについて、情報共有や意見交換が行われました。

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「ふくしま連携復興センター 台風被害対策会議」の様子

 今回被災した地域には、東日本大震災からの復興・再建を進めていた方々や、新たに移り住み、再出発に向けて歩み始めていた方々もいらっしゃるかと思われます。現在、福島を含めた広域にわたる被災地を対象としたJPF「令和元年台風被災者支援(台風15号、台風19号)プログラム」が開始されておりますが、JPF加盟NGOとともに、地元行政、社協、企業、団体などと連携・協力しながら、被災者のこころに寄り添ったきめ細かな支援を展開してまいります。

▼ふくしま連携復興センターの活動はこちら
https://f-renpuku.org/

JPF 山中努

 

 

 

「JPF東日本大震災被災者支援:福島県川内村に見る日本の課題への取り組み」

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黄金色に輝く川内村の稲穂

こんにちは!JPF地域事業部(福島担当)の山中です。

今年度、JPFは福島に残された課題に対応するネットワーク体の立ち上げ、運営の支援などを行っています。具体的には、避難指示解除により帰還が進む川内村の「川内コミュニティ未来プロジェクト会議(以下、川ニティ)」、避難先と帰還先の繋がりが求められる飯館の村内外を繋ぐ「飯館ネットワーク」による「飯館未来会議」など、帰還後のコミュニティづくりに力を入れています。

また、専門家のみならず地域住民の方々などと連携して心のケアの裾野を広げる(心理社会的支援の)ための「福島広域心のケアネットワーク」、避難指示解除による帰還と避難先の移動の問題などで困窮状態に陥る方々のための「困窮者支援ネットワーク」の運営支援を行っています。

今回のブログでは、比較的早期に避難指示が解除され、帰還が進む川内村の「川ニティ」の取り組みをご紹介させていただきます。少子化・高齢化による地域文化の伝承の危機など、今後、日本全国で直面するだろう課題にいち早く取り組んでいる事例としてご紹介したいと思います。

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川内村の林道を行く

 川内村では、避難指示解除後に帰還した人の多くが高齢者で、子どものいる若い世帯については、避難先の近隣都市である郡山などでの生活を続け、帰還も約半数に留まっているのが実状です。そんな中、子どもたちの集まる場、つながる場を提供し、子どもたちを中心にコミュニティを再生しようと、地元の婦人会や学童保育、学識者、若手芸術家、地域観光施設、郵便局、川内で活動するNPO/NGO、任意団体等の方々で「川ニティ」を立ち上げました。

これまで、「川ニティ」では、「川内っ子を育む井戸端会議」を皮切りに、自然と共存してきた暮らしを伝えようと「ふるさと学校」を開催してきました。第一回目は、川内村で太古から人々の暮らしを支えてきたイワナをテーマにし、「いわなの郷」という施設で、イワナ釣り、イワナ料理の体験教室を行いました。第二回目は、川内村の冬の暮らしをテーマに、昔ながらの自然と共に丁寧な暮らしをされていて、映画「家路」の舞台にもなったお宅に伺って、庭や畑で餅つきやしめ縄作りの体験教室を行いました。 

今年の6月には、地域学、地元学の専門で民俗学者である結城登美雄先生をお招きして、村民向けのワークショップを2日間に渡り行いました。両日とも大盛況で、活発な意見交換が行われました。村民主体で川内村の自然と共存してきた暮らしの価値を再確認し、それを体系化して形に残し、子どもたちを通して未来に伝えて行く上で非常に有意義な集まりとなりました。(尚、この回のワークショップの経費は全てカトリック鷺沼教会の皆様からのご寄付によって賄わせていただきました。)

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川内村でのワークショップの様子

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伝統的な工芸品について解説する結城先生

川内村では餅つきが年に40回以上行われてきましたが、それは餅をつき、お餅とお酒をお供えするという晴れの神事でした。その日は仕事を休み、奉納された餅を食べ、お神酒を飲み踊り騒ぎました。この晴れの餅つきの日を増やすというのは、お米がお金で年貢の取り立てが厳しく設定されていた頃は、むしろ労働闘争と富の分配という意味合いもありました。

また、川内村は木戸川と夏井川が丁度交差するところにあり、水が豊かで植物の種類も多く、炭にできる木の種類が最も多いと言われています。川の滋養も豊富で昆虫も多く、綺麗な水にしか住むことのできないモリアオガエルを始め、めずらしい固有種も生息します。食べ物や飲み物も、イワナや漬物、地酒を始めこの地特有のおいしいものがたくさんあります。

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モリアオガエルやイワナの生息する川内村の清流

これからは、自然と共存しながら丁寧な暮らしをしてきた川内村の文化と知恵を体系化し、より広く伝えていくことが重要であると考えています。避難指示解除になった地域で、帰還した人も村外で暮らす人も川内村の村民としてのアイデンティティを共有して将来的にも交流し続けることができる川内村コミュニティ形成として、JPFでも関わっていきます。

 ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部 山中 努

 

 

「JPF熊本地震被災者支援~地域の力をつなぐために」

こんにちは!JPF地域事業部(熊本担当)の斎藤です。 

熊本支援では、毎月、現地に伺って、地元の皆さんと情報共有を行いながら、JPF事業の進捗確認を行うとともに、更にどのようなお手伝いができるのかを模索しています。7月の出張では、主に、JPF事業で助成している4団体、「一般社団法人スタディライフ熊本」「カセスル熊本」「特定非営利活動法人バルビー」「みんなのボランティアステーション」を訪問し、事業に関する相談を受けたり、今後の方向性について話し合ったりしました。今回のブログでは、7月の訪問時の様子などを一部紹介させていただきます。 

7/15、大津町の若者たちのグループ「カセスル熊本」の皆さんを、現地で業務委託している特定非営利活動法人くまもと災害ボランティア団体ネットワーク(KVOAD)のスタッフ、および復興支援の専門家とともに訪ねました。

元々まちづくりの活動で集まっていた、郵便局、社会福祉協議会、町議会議員など様々な職業のメンバーで構成されているこのグループは、災害時にも自然な流れで連携し、中心的な役割を果たしてきました。現在も多角的な情報を元に、フットワーク軽く、具体的な活動へとつなげています。 

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事業終了までより良い支援となるよう、全員で知恵を出し合い中©JPF

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活躍中の軽トラックを確認©JPF

7/16、特定非営利活動法人バルビーの活動について、お話を伺いました。

バルビーのメンバーが実施する仮設住宅でのコミュニティ支援には、たくさんの皆さんから声がかかり、活動によってつながった地域も複数市町村にわたります。JPF事業ではその広いつながりを活かし、仮設住宅から自宅あるいは災害公営住宅に移り、コミュニティを離れることになる方たちを、一人きりにしないような継続的な関係づくりを目指しています。また、熊本県内で現在も支援を続ける地元団体に聞き取り調査を実施して、長く続く復興期だけでなく、今後の災害時にも連携できる関係を構築していけたらと考えています。 

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ここでも、「どんな工夫ができるかな」とみんなで思案中©KVOAD

一方で、移動中に立ち寄った仮設住宅で退去が進んでいることを実感しました。以下の写真のような建設型の仮設住宅の入居率は7月末時点で約3割、既にあるアパートなどを仮の住まいとするみなし仮設住宅も含めると約2割となっています。日本経済新聞電子版(2019813日)では、仮設住宅などのコミュニティから離れた人々が孤立してしまうことへの懸念を報じています(下記ご参照)。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48497690T10C19A8000000/

東日本大震災被災者支援でも同じ課題が見られますが、入居者が減ることで住民たちのつながりの維持が難しくなり、また人がいなくなることで防犯の対策も必要となってきます。今回、立ち寄らせていただいた仮設住宅では、見回りに来た自治会長さんたちに、たまたまお会いすることができました。仮設住宅を離れても定期的に通って様子を見てくれているそうです。 

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強い日差しの熊本では雑草の成長の勢いが著しく、草刈りボランティアのニーズは今もあり!©JPF

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空室が目立つ©JPF

来年の夏以降、各地の仮設住宅の住民を集約する動きが予定されています。発災から5年経っても、仮住まいから更に仮住まいへと引っ越さなければならず、地域のつながりもぶつぶつと切れていきます。これをつなぎとめるための対策が、今から必要になってきます。 

引き続きJPFは、現地の皆さんと知恵を出し合う作業を通じて、今後の取り組みを探っていきます。 

★おまけ1

日差しが強く気温の高い熊本で、涼しい場所にも立ち寄りました。Facebookもご覧ください。

【熊本地震被災者支援: 熊本出張~モニタリングの実施】

https://www.facebook.com/japanplatform/posts/2394258467326829?__tn__=-R

★おまけ2

熊本入り初日は大変な大雨でした。途中から同行した、東洋大学の学生さんたちの熊本視察の様子が、KVOADFacebookに投稿されています。

20190714-20190715東洋大学熊本研修】

https://www.facebook.com/kvoad/videos/vb.462039803920665/2567204829984886/?type=3&theater

JPFの熊本地震被災者支援では、長く続く復興を地域でつながることで担う活動を後押しする、「地元の中間支援団体の発掘と立ち上げ事業」を継続しています。

https://www.japanplatform.org/contents/kumamoto_tsunagu/

 ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部 齋藤 真樹

「JPF東日本大震災被災者支援事業 ジェシカ・アレクサンダーさん訪問レポート」

こんにちは!JPF地域事業部(福島担当)の山中です。

今回のジャパン・プラットフォーム(JPF)のブログでは、201942324日に、JPFの「東日本大震災被災者支援」支援団体を視察したジェシカ・アレクサンダーさん(Ms. Jessica Alexander)のレポートを紹介させていただきます。

アレクサンダーさん(フルブライト奨学金受賞研究員、上智大学客員研究員)は、ニューヨーク大学及びコロンビア大学の大学院で、人道支援の効果とアカウンタビリティについての講義を担当し、これまで自然災害・紛争による人道危機における評価と対応を数多く経験しています。著書には『カオスを追う:人道支援を内外より見つめた十年(原題Chasing Chaos: My Decade in and out of Humanitarian Aid)』があります。

今回のアレクサンダーさんの現地訪問は、人道支援の専門家として日本の防災・減災に対するアプローチを研究し、国際的人道支援の場での防災・減災の政策面および実施面で活かしたいという彼女の強い思いでおこなわれました。2日間の視察から得られた考察が以下の5点にまとめられていますので是非ご一読ください。

(※今回の内容は、中立的な第三者の意見・コメントであり、JPFの見解を代弁するものではありません。また、現状だけでなく過去を振り返った考察も含まれています。)

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 1.複数のステークホルダー間での調整の難しさについての言及が多く、調整が機能した場合、調整は支援事業の成果達成に欠かせない要素となる 

緊急支援期における調整の問題として、支援ボランティアや支援団体の過剰・重複から、時に不公平な分配が起こり、被災者間で緊張関係やわだかまりが生じる事例も挙げられました。特別調整会議が開かれた地域もあったものの、全体として調整のメカニズムが存在せず、調整の必要性が感じられたとのことでした。逆に協働関係が存在した場合には、以下のような成果があったことが分かりました。

▪「公益社団法人3.11みらいサポート」からのヒアリングによると、炊き出しに際して自衛隊、自治体、NPO間で強固な協働関係が存在したとのことでした。自治体では、避難者が目に見えやすい形で集まる避難所へ食事供給が偏りがちでしたが、(数多くの)自宅避難者へも食事を提供する仕組みが必要でした。そこで、自宅避難者の居場所が分かる地域のNPOと、実際に自宅避難者へ食事を届けられる立場にある自衛隊との連携に成功し、複数ステークホルダー協働でそれぞれの強みやキャパシティを活かして困っている人々へ支援を届けることができました。

▪「公益社団法人3.11みらいサポート」では、仮設住宅自治連合推進会が主催する自治会との月例会議をサポートし、防犯、消防団、駐車場やカーシェアリング、ごみ問題等を話し合える場が住民主体で運営されました。この様なコミュニケーションを通じて、行政側が被災者の懸念に応じる場が出来ました。

▪企業もNPOにとって重要なパートナーでした。「特定非営利活動法人しんせい」では「企業の協力なくしてこのプロジェクトはできませんでした」という声も聞かれました。ブラザー工業株式会社からミシンの、ジーンズの会社から生地の寄付を受けてミシンの学校を設立し、パリの障がい者団体とコラボしてお互いの製品を交換し販売できるようにしました。また、JPFとJPF加盟団体である「特定非営利活動法人難民を助ける会(AAR Japan)」の支援と、製粉会社からの寄付を受け、お菓子を作るビジネスも立ち上げました。 

 

2.原発事故の影響を受けた方々の間には相当な緊張関係が依然としてある 

東日本大震災は地域社会や家族間の絆を壊し、不信感をもたらし、放射能汚染やその影響に関する噂や嘘の情報によってわだかまりが強くなりました。摩擦が生じた原因として様々な出来事が挙げられました。自主避難したかどうか、受けた補償金の金額、放射線レベルに対する考え方の相違(子どもに学校給食を食べさせるかどうか)、また、避難者を受け入れた郡山市では避難者の帰還を願う意見もありました。家庭も自主避難に対する考え方から崩壊に至ることもありました。男性が職場の近くに留まりたいと思う一方で、女性は子どもを守るために避難したいと考える傾向があったからです。

 

3.交流会やサロンは被災者の心理社会的回復の一端を担い、ストレス軽減、地域の結束強化、癒やしに役立っている 

心理社会的応急処置(psychosocial first aid)は日本では比較的新しい概念ですが、個々の被災者の回復に重要であるとの認識や理解が高まっています。お話を聞かせてくださった方の中には「建物は建て直せるが心の傷が癒えるまで福島の復興はありません」と語る方もいました。多くの団体では被災者が集まってストレスや不安が残ることについて話し合える場を提供してきました。「頭を使って話すのは本当の話ではないので、心の中にあることを話すには何か仲介が必要」という意見もありました。 

特定非営利活動法人コースターでは地域の絆を強めるために、リハビリセンターでの地域バーベキュー等のイベントを開催し、人々を招いて対話を促しています。東北大学ボランティアセンターを通じて若者と高齢者との交流も進めています。特定非営利活動法人ビーンズふくしまでは、子育て中の母親達が集まる機会を提供していますが、特に福島に戻ってきたばかりの方々の役に立っているようです。前出の「しんせい」では、郡山市の避難者受け入れ地域の住民と、避難された障がい者の方々の相互理解と絆の強化に努めています。これらの取り組みは「新しい地域社会を作る手助け」として重要な役割を果たし、「防災の鍵となる」と話してくださった方もいました。 

 

4.震災の記憶や震災からの学びを次世代や災害発生可能性の高い他地域に伝えていくには更なる投資が必要 

今回ヒアリングをさせていただいた多くの方から、自分達の体験を次世代へ語り継ぎ、震災発生前後に起きたことを記録する必要性が語られました。この様な努力にも関わらず、東日本大震災発生以前よりも現在の方が防災準備が進んでいるとも言えず、防災意識があったとしても防災活動には変化がなく行動が伴っていない、という意見もありました。地域防災計画を立てていない地域も多く、その理由として「準備さえしていればこれほどの被害は避けられたことに、今さら向き合うことが辛すぎるからでは」と説明する方もいました。 

公益社団法人3.11みらいサポート」では、3.11みらいサポート事業を通じて、震災から得られた学びを集め、語り部の方々等によってこれらを広める働きかけをしています。 「命を真ん中に据え、命が最も重要でかけがえのないものとする」というメッセージを掲げ、更なる資金を得て、災害発生可能性の高い地域の若者との情報共有を目的としたシンポジウムを開催する予定です。

 

5.被災地域の人々は、国の施策は住民不在だと感じている 

国の施策が人々の望みやニーズから切り離されているという声も多く聞かれ、地域住民の反対にもかかわらず防潮堤が建設された例が挙げられました。国と東京電力は避難者に対して帰還計画の説明会を行ってきてはいますが、がれき除去や原発廃炉などのテクニカルな話に終始しがちです。人々が本当に聞きたいのは、スクールバスのルートについて(現在は通学児童生徒数が少なすぎてスクールバスの採用に至っていないが、バス無しでの通学が遠すぎるとして引っ越す家族も多い)、未だに補修されていない道路について、若者の減少により消防士のなり手がいないことについて等です。 

政府は、オリンピックを目前として、地域住民の気持ちとは真逆の「被災地域は復興が済み万事上手くいっている」というメッセージを全世界にアピールしていることについて、人々は憤慨しています。まさにある方が仰っていた言葉の通り「福島の人々はこんなメッセージは信じられません」ということです。  

訪問先団体

▪ 福島県郡山市:特定非営利活動法人しんせい、特定非営利活動法人コースター

▪ 福島県福島市:特定非営利活動法人ビーンズふくしま

▪ 宮城県石巻市:公益社団法人3.11みらいサポート

▪ 宮城県女川市:女川町社会福祉協議会

 

JPF地域事業部(福島担当) 山中 努

 

Visit with Japan Platform to Project sites in Tohoku

Between April 23-24 2019, Jessica Alexander, a Fulbright scholar hosted by Sophia University, visited a few of Japan Platform’s project sites in Tohoku. Ms. Alexander teaches at both New York University and Columbia University graduate schools about effectiveness and accountability in humanitarian aid and has evaluated and responded to numerous humanitarian crises - both natural and conflict related. She is also the author of “Chasing Chaos: My Decade in and out of Humanitarian Aid.”

As a humanitarian aid professional, Ms. Alexander is researching Japan’s approach to disaster risk reduction (DRR), with the hopes of bringing lessons from this country to inform both DRR policy and practice within the international humanitarian space. Over two days in late April we visited four JP Project sites in Tohoku. Her main take-aways are summarized below.

Coordination among multiple stakeholder groups was challenged throughout the response, but where it worked well, it was critical to achieving desired outcomes.

Coordination among organizations working in the immediate response was initially challenged as numerous and overlapping volunteers and organizations turned up to provide assistance, sometimes leading to inequitable distribution resulting in tension and disputes among affected people. Although ad hoc coordination meetings took place in some areas, an overall central coordination mechanism did not exist and was needed. Where cooperation did happen, achievements were cited, for example:

3.11 Future Support Association described robust collaboration between SDF, the Municipal Government and NPOs during hot meal distribution. Although meal distribution in the Municipal Government tended to be biased to evacuation centers where evacuees gather in a visible form, an appropriate system to provide meals to (many) people who stayed in damaged homes was necessary. They successfully coordinated with local NPOs who could identify where they were and the SDF who could actually reach them. This mutli-stakeholder collaboration capitalized on the strengths and specific capacities of each actor to reach people in need.

3.11 Future Support Association supported monthly meeting with self-governing bodies organized by the self-governing associations of temporary shelter areas, and the meeting where people can discuss security, firefighting, parking and car sharing, garbage clearance was managed by the residents. This kind of communication gave the government a forum to respond to the complaints of affected people.

The private sector was a critical partner for NPOs, especially for Shinsei who noted, “Without the private companies, we could not realize this project.” The Brother company donated sewing machines to them, while a jeans company donated fabric to help establish a sewing school. They collaborated with a group working with disabled people in Paris, where they could exchange and sell their products. With support of JPF and AAR as well as donations from a flour company, they have also established a sweet making small business.

Considerable tensions remain among different groups affected by the nuclear disaster.

Within some communities and even families, the GEJE resulted in dissolvement of cohesiveness and distrust. Rumors and misinformation about nuclear pollution and its affects fueled these tensions. Frictions that arose were based on: whether or not people evacuated; varying levels of compensation received by the government; belief systems about radiation levels (whether to feed children school lunches or not); host communities in Koriyama wanting displaced people to return to Fukushima. Even within families, divisions around evacuation beliefs have led to their breakup – with men tending to want to stay near to their livelihoods, while mothers wanting to evacuate to protect their children.

 

Exchanges and salons are part of psychosocial recovery and have reduced stress, strengthened community ties and supported healing.

Psychosocial first aid is a relatively new concept in Japan, and one that has been more recognized and understood as critical to recovery. As one interviewee noted, “Buildings may have been rebuilt, but until that distress is resolved, there will be no recovery in Fukushima.” Many organizations have provided some forum for people to talk about their stress and remaining anguish. with one interviewee saying “People can’t talk from their mind and need an intermediary factor to talk from the heart.” 

Co-star has tried to strengthen community ties by hosting events such as community BBQs in rehabilitation centers and inviting people to help facilitate dialogue. Through the Tohoku University’s Volunteer Center they have also facilitated exchanges between youth and elderly. Fukushima Beans has also created opportunities for mothers to get together, which has been especially helpful for those who are now just returning to the Fukushima area. Shinsei has also brought members of the host community to work side by side with disabled evacuees in Koriyama to strengthen mutual understanding and these bonds. These efforts are important for “helping build a new community” and as one respondent noted, “are the key for preparedness.”

 

Further investment is needed in upholding memories of the disaster and sharing lessons to the next generation and to other disaster prone areas.

The importance of passing down the experience to the next generation and archiving what happened before, during and after the disaster was noted by many. Despite these efforts, some observed that people today are not any more prepared than they were before the GEJE and that awareness has not translated into action with preparedness practices unchanged. Many communities have not conducted Community Based Disaster Management Plans because as one respondent explained, it may be too difficult for them to now face how the devastation could have been avoided if it were better planned for. 

3.11 Future Support Association, through it’s 3.11 Future Support Program, has collated some of these lessons and is sharing them through storytelling. Their central message is: “Life is at the center. Life is the highest priority and the most precious thing.” With additional funding, they aim to conduct information sharing symposiums for young people in disaster prone areas.

 

Communities feel the government is out of touch with its ongoing concerns.

Many noted that the Government’s approach has been disconnected with people’s desires and needs, with the building of seawall, despite objections from communities, being a primary example. Although the government and TEPCO have held community meetings with evacuees to discuss plans for return, the messages are aimed at explaining technical matters such as debris removal and the process of closing the power plant. People want to discuss social issues such as school bus routes  (there are too few youth going to school to manage a bus route, and families are now leaving the area because the commute to school is too far without a bus), remaining damaged roads, the lack of local firefighters due to a shortage of younger people. 

With the upcoming Olympics, people feel resentful that the Government has communicated with the wider world that the area is recovered and the situation is under control, when communities feel it is not.  As one respondent noted, “these messages are unbelievable to people of Fukushima.”

 

Organizations met:

  • Koriyama: Shinsei, Costar
  • Fukushima: Beans Fukushima
  • Ishinomaki: 3.11 Future Support Association
  • Onagawa: Social Welfare Conference Onagawa