ジャパン・プラットフォーム(JPF) 公式ブログ

緊急人道支援組織、認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)のブログ。NGO・経済界(経団連、企業など)・政府(外務省など)が連携し、国内外の緊急人道支援を実施。寄付金・募金受付中。

福島の避難指示解除地域と困窮者支援(東日本大震災被災者支援)

ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部の山中です。

今回は、2月に、いわき市内で開催された交流イベントと福島の避難指示解除地域の現状について、「困窮者支援」と「フードバンク」という観点から現地での活動をご紹介させていただきます。 

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 2月16日、いわき芸術文化交流館アリオス前の広場で、いわき大交流フェスタが開催され、数多くの団体が出展し、雨天にも関わらず2,000名近くの方が来場されました。JPFが業務委託契約を結んで協働する、県域中間支援組織の「ふくしま連携復興センター」、浜通りいわきの中間支援組織「みんぷく」の2団体、そして、「共に生きる」ファンド助成先団体である「ザ・ピープル」が合同で困窮者支援ネットワークのブースを出しました。

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ザ・ピープルのブース(いわき大交流フェスタ)

 ブースでは、フードバンクによる困窮者支援モデルのチラシなどを配布しましたが、緊急を要する食糧支援の要請は、どんどん増えていて、昨年度は90ケース以上の依頼があり、今ではいわきだけでなく、避難指示解除地域の自治体や福島県の中通り地域からの要請も増えています。10%以上が避難者からの緊急を要するニーズです。避難指示解除に伴い様々な支援策も打ち切りになる中、困窮状態に陥る避難者が増えています。食糧支援の内容は、数日分~2週間分と、ニーズや要望に合わせて変わります。このモデルでは、行政や社会福祉協議会を通して支援が行われますが、支援スタッフからは、フードバンクがあって本当に良かったという声が聞かれます。 

 昨年、避難指示解除になった大熊町の大川原地区では復興公営住宅の建設が進み、住民の帰還が一部で始まりました。今年3月には双葉町も一部避難指示が解除されましたが、これは住民の帰還を想定したものというよりは、常磐線の再開によるものです。これによって、浜通り経由の品川~仙台間の路線がつながり、富岡でバスに乗り換えて浪江まで行き、浪江からまた電車に乗り換えるという不便な状況は改善されました。

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大熊町大川原地区の様子

 しかし、大川原地区では低線量地域の一部だけに新しい建物が立ち並びましたが、その周りは閑散としており、いまだ線量も高く、農業も商業も、住民の営みは乏しいのが実情です。また、双葉町でも駅周辺は解除になりましたが、他の地区では、住民の帰還のための除染作業などが必要とされている状況です。

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双葉駅とその周辺の様子

 福島では、避難指示 が解除されて一部で帰還が進む一方、それに伴い分断や孤立、生活困窮の問題も出てきていることも見逃せません。もちろん緊急の食糧支援のニーズも増えています。福島は、復興フェーズにおける新たな課題に直面しているのではないでしょうか。 

JPF地域事業部

▼JPF東日本大震災被災者支援特設サイト http://tohoku.japanplatform.org/

▼ふくしま連携復興センター https://f-renpuku.org/

▼みんぷく http://www.minpuku.net/

▼ザ・ピープル https://npo-thepeople.com/



 

「共に生きる」ファンド助成先団体からの近況レポート(東日本大震災被災者支援)

こんにちは!ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部の山中です。

2019年度、地域事業部は、東日本大震災被災者プログラムの2016年~2019年の評価活動を実施。外部の専門家の方にヒアリングと評価を進めていただいております。

その中から特に、今回のブログでは、岩手県と宮城県の「共に生きる」ファンド(以下共生き)助成先団体の今の様子をお伝えします。 

 

岩手の一関で活動する「ほまれの会」

避難所や応急仮設に入られた障がい者の中で、特に発達障がいの方々は、その障がいの特徴のために、出ていくことを余儀なくされ、行き場を失ってしまうことが多々ありました。「ほまれの会」は、そうした方々の居場所としてスタートしましたが、道の駅に近い立地をいかし、畑作業や採れた野菜を使ったお惣菜作り、フラワーアレンジメント等の生業支援とイングリッシュガーデンのある素敵な居場所を提供しています。今ではここの花で作ったフラワーアレンジメントや多肉植物の小鉢、デニムバッグなどが、道の駅で好評とのことです。

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 ※バッグに使用するデニムは工場が被災された気仙沼の及川デニムさんから生地を無償で支援していただいています。 

JPFスタッフも何度かお邪魔させていただいた素敵なイングリッシュガーデンで、障がい者の方々も落ち着いた日々を過ごされているようです。 

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宮城県の気仙沼で活動するFish Market38

特に被災の激しかった気仙沼の唐桑地域等の小規模漁業を中心に、地元の社団法人を通して支援しています。初めは加盟団体の日本国際民間協力会(NICCO)を通じて支援をしていましたが、今は地元団体がその活動を継続しています。当時はNICCOのスタッフとして働いていた女性も今ではFish Marketの代表として、魚を捌いたり、市場に活魚を出荷しに行ったりしています。活動を現地化する際には、JPFスタッフが地元の漁師さんとの話し合いに参加させていただくこともありました。なお、最近は魚介類の価格が上がってきているため、収益も良くなっているとのことです。今は新型コロナウィルスの影響で大変な状況も続いていますが漁師さんたちは元気に今日も頑張っています。 

夜の魚市場はひっそりと静まり返っていますが、出港していった漁船を出迎えるために、灯りが煌々と照らされています。

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※夜の出荷作業は大変な重労働です。 

共生き助成先団体が、これからも、しっかり地に足をつけて持続的に活動を展開されていくことを願っています! 

JPF地域事業部

 

岩手県陸前高田市への出張の合間に(東日本大震災被災者支援)

こんにちは!ジャパン・プラットフォーム(JPF)事務局(地域事業部&広報部)です。 

今回は1月下旬に「共に生きる」ファンド(以下共生き)事業実施団体へのヒアリングのために出張した陸前高田の様子を簡単にご紹介させていただきます。

北上駅で集合したJPFスタッフは、車で陸前高田に向かいました。約2時間の行程です。陸前高田市に入り、清流気仙川と並行して走る高田街道を南下すると途中「川の駅よこた」が見えてきます。しばし休憩ということで屋内を覗いてみると、震災前の高田松原周辺の写真も飾られていました。

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陸前高田市街地に入り、共生き事業実施団体「陸前高田まちづくり協働センター」との約束の時間までの約40分程でしたが、高田松原復興祈念公園にも立ち寄らせていただきました。

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東日本大震災津波伝承館を見学する前に、防潮堤に向かいました。防潮堤の上にある献花台から海の方を望むとかつての美しい松原の再生を目指して、数多くの若木が植林されている様子がわかります。また、海に向かって右の方向には、背景と重なって少し見辛いのですが、震災遺構の1つである「奇跡の一本松」も立っています。

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防潮堤から伝承館に向かうところ、JPF地域事業部スタッフがすれ違う方と顔を見合わせ、お互いに「あれっ」と声が。かつての支援活動の仲間と偶然に再会しました。以前はJPF加盟NGO所属として陸前高田に入られていましたが、現在は、地元の特定非営利活動法人パクトに移り、子ども支援を担当されているそうです。

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伝承館の中では、日本を襲った津波の歴史、東日本大震災における津波の状況、被災者の証言などを知ることができます。また、館内には、津波で押し流された消防車が痛々しい姿のままで展示されています。

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陸前高田の市街地では、嵩上げされた区画にショッピングセンターなどが開業し、建設途中の野球場なども見られました。まだまだ空いている区画も多いなという印象は否めませんが、復興祈念公園内の伝承館のような津波被害を後世に伝えていく施設も存在します。 

ヒアリングさせていただいた陸前高田まちづくり協働センターは、陸前高田の中間支援団体として、ネットワーク形成や、住民主体の復興に向けたコミュニティ形成支援、更に、高齢者の社会参画支援などの事業を展開されています。陸前高田の象徴の1つでもある松原の再生とともに、地域の復興へと歩みを進められることを願っています。

 

▼東日本大震災津波伝承館

https://iwate-tsunami-memorial.jp/

▼陸前高田まちづくり協働センター

https://rtmachikyodo.jimdo.com/

▼特定非営利活動法人パクト

http://pact-rt311.org/

 

JPF事務局





ジェシカ・アレクサンダーさんの台風19号被災地訪問(令和元年台風被災者支援)

こんにちは!JPF地域事業部(福島担当)の山中です。 

今回のジャパン・プラットフォーム(JPF)のブログでは、2019年7月のブログ( http://blog.japanplatform.org/entry/2019/07/11/130125 )にも寄稿していただいたジェシカ・アレクサンダーさん(Ms. Jessica Alexander)のレポートを紹介させていただきます。アレクサンダーさん(フルブライト奨学金受賞研究員、上智大学客員研究員)は、ニューヨーク大学及びコロンビア大学の大学院で、人道支援の効果とアカウンタビリティについての講義を担当し、これまで自然災害・紛争による人道危機における評価と対応を数多く経験しています。著書には『カオスを追う:人道支援を内外より見つめた十年(原題Chasing Chaos: My Decade in and out of Humanitarian Aid)』があります。 

今回のアレクサンダーさんのいわき市訪問では、現地で活動する地元団体やJPF加盟NGOへの聴き取り調査を行っています。いわき市の直面する問題、支援活動などについての考察がまとめられていますので、是非ご一読ください。(※今回の内容は、中立的な第三者の意見・コメントであり、JPFの見解を代弁するものではありません。)

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20191012日、台風19号が日本に上陸しました。今年日本に上陸した19番目の台風は、過去数十年の中で最も強力な台風となりました。数十人の方が亡くなり、複数県にまたがり深刻な水害を引き起こし、何万戸もの住宅が被災するなどの甚大な被害をもたらしました。本報告はいわき市で継続中の復興事業や、台風の影響を受けた地域が未だ直面している問題に焦点を当てています。以下の報告内容は、20191111日にいわき市にて特定非営利活動法人難民を助ける会(AAR)、特定非営利活動法人ザ・ピープル、一般社団法人ピースボート災害支援センター(PBV)の各団体のスタッフを訪問し、現地で行った聞き取り調査に基づいています。

早期警告と避難

 台風上陸前までには、メディア報道や防災行政無線の屋外スピーカーによる早期の警告は広範囲にわたっていたものの、山間部に暮らす多くの住民に対しては効果を発揮しませんでした。2011年の東日本大震災以来、避難システムと言えば沿岸部を中心とした防災スピーカーの使用に重きが置かれてきました。そのため、今回も沿岸部の住民には情報が行き渡りましたが、内陸部に暮らす人々へ情報を届けるには不十分な仕組みでした。今回の台風による大雨で特に水害の影響を受けやすい地域で生活していたのが、こうした山間部の住民です。メディアによる報道では、日中に長野県の千曲川が決壊したことが大きく取り上げられていましたが、いわき市、郡山市、本宮市、および伊達市に影響を及ぼした夏井川や阿武隈川が夜間に氾濫したことは十分に取り上げられていません。どの様な情報をどの様に伝達すべきかを考える際、様々な住民の方が直面する状況に応じた内容と手段を選び、適切なものを強化する必要があります。

  東日本大震災から8年が過ぎ、人々の間では災害を警戒する気持ちや防災準備が疎かになってきています。ヒアリングを行った際、「以前はもっと警戒していたが、8年が経って皆が災害について忘れてきていたので、今回の被災には本当に驚きショックを受けた」という回答もありました。一般論として、人は、「何か起きるとしても自分には起きない」と思いがちです。今回こうした考えを後押ししてしまったのが、いわき市内での降水量の少なさでした。いわき市より上流の山間部で1時間に900mmという未曾有の大雨が降り、その結果夏井川が氾濫して下流の町々で浸水することになるとは、いわき市の人々は予測できませんでした。

人々は、自宅の窓から見える雨が激しくなかったので、これ程の水量になると想像もつきませんでした。自宅でのんびりしていたら急に河が氾濫し水位が上昇してきました。そこで自宅の二階や屋根の上へと避難するしかありませんでした。屋根の上で一夜を明かした人もいました。

 避難勧告がショートメッセージ(SMS)を通じて発信されたこともあり、本災害の影響を受けた住民は高齢者に偏りがでました。高齢者の中には自力避難ができない人もいました。いわき市のNPO法人「みんぷく」は、今後の災害時には避難支援ができるよう、高齢者の方々の居住場所を特定しておく活動をしています。しかし、これらの町の多くでは、避難支援に携われる若者の人口が少ないという現状があります。リスクコミュニケーション(非常時等に関する関係者間同士の意思疎通)は、お祭りやイベント等の人々が関心を持って参加できるような日常生活の中の活動と結びつける必要があります。行事やイベントは、住民同士が住んでいる場所などお互いを知り、防災の一環として地域の結びつきを育むという意味でも重要です。

いわき市の被災者が直面する問題

 2011年の東日本大震災の教訓を活かしきれず避難所の状況は厳しいものです。今回の被災者の8割以上が、被災した自宅の2階以上で生活する自宅避難や車中避難を選択しています。避難所は様々な障がいのある住民のニーズに応える準備がないため、障がいのある被災者にとっては更に厳しい状況です。高齢者と障がいのある人々は自宅から動けずにいます。

 水害・水災保険に入っていた被災者は、家屋そのものの被災には保険を使えましたが、ヒーター、ストーブ、冷蔵庫、その他の家電製品、自動車などの家屋以外の物には使えませんでした。人々は車がないと仕事に行けません。特に冬を迎えるにあたり、これらを買い換えることが一番大きなニーズです。中には寄付された物もありますが、実際に必要な物は、これまで受けた支援の約2倍だと推測されています。

人々は将来のことは考えられず、いま目の前にある状況に対応するのみです。

 全ての幼稚園・保育園が休園してしまったため、子育てをする住民は園の再開まで出勤せず自宅で子どもの世話をしています。

NPOによるいわき市民への支援

 いわき市のボランティアの数は、復興支援事業に必要な人数に足りません。ボランティア不足は、日中に決壊した長野の千曲川がメディアで大きく取り上げられ、ボランティアの大半が長野の被災者の支援に向かったことも一因です。千曲川周辺の被災も深刻でしたが、夏井川と阿武隈川の氾濫によりいわき市、郡山市、本宮市、伊達市にもたらされた被災はもっと深刻でした。浸水被害を受けた家屋の床下の土砂除去作業は、来春に植物が生え始めるとより大変になると予想されます。ボランティアの支援がなければ、住民が自宅で作業にあたらなくてはいけませんが、高齢者も多く住民だけでは作業に限界があります。

 AARのような団体では、活動範囲を広げ、長野県と丸森町(宮城県伊具郡)の避難所で温かい食事を提供する事に加えて、障がいのある被災者の方々に資材を配布しています。

 東日本大震災の頃から比べると、支援の調整には改善が見られました。2011年当時は、情報共有会議を立ち上げるのに2ヶ月近くかかりましたが、この度の台風では被災直後に情報が共有できる機会が多くありました。たとえば福島連携復興センター(福島連復)では、地元のNPOの中間支援団体としてNPOと行政をつなぐ役割を果たし、福島県内の情報共有を助けました。また、NPO法人ザ・ピープルといわき市社会福祉協議会も情報共有を支援しています。

 ザ・ピープルは、いわき市で過去30年にわたり、古着を集めて再販することでゴミを減らす活動をしているNPOです。この事業の収益で、障がい者を雇い古着の洗濯の仕事をしてもらうことで、小さいですが障がい者雇用の機会を創出しています。水害以来、この団体では被災世帯に衣服、タオル、水を提供しています。更に、フードバンクを通じての食品の提供も行っています。参加者の半数が独居の男性です。

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 ピースボートでは避難所に行かず自宅の2階以上で避難生活をしている被災者に衣服、食べ物、水、子ども向けのお菓子を配布しています。センターには毎日6070名が訪れ、地域住民がボランティアとしてセンターの運営を手伝っています。また、ピースボートが主催するサロンは、被災者が自分達に何が起こり自宅をどうしたら良いのかという情報を共有するのに効果的な場です。多くの住民にとってこのような被害を受ける被災は今回が初めてで、家屋の補修の仕方も分からないため、サロンを通じて経験を共有することで助け合っています。

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被災者生活再建支援金の支給程度

 千曲川が決壊し家屋が大雨で流された長野では、被災者生活再建支援金の支給額が高く、避難所へ避難できて、仮設住宅に入居できる被災者もいます。しかし、いわき市に多い被災者のように浸水で家屋が全壊には至らなかった場合、家屋の補修に上限60万円が支給されるだけです。いわき市の被災者も避難所へ避難する選択はありますが、行政の運営する公営避難所へは行かず、自宅でまだ生活が可能なので自宅避難を選ぶ人が多いです。被災者の中にはJPF加盟団体等の支援を受けて自主避難所を立ち上げた人もいます。

 支援金の支給程度に差があることで地域社会が分断されています。家屋の被害の程度ではなく浸水の深さによって公的支援金の支給額が決まりますが、この支給の仕方だと、国が被災者を分断しコントロールしやすくするだけだと言う人もいます。現在の支給額は必要な補修や復興には不十分であり、「一番必要としている人々ではなく東京(本社)が潤う」ことになる建設会社ではなく、より大きな額が被災者の手に直接渡るようにすべきだという声も上がっています。

 JPF地域事業部(福島担当) 山中 努

Visit with Japan Platform to Project sites in Iwaki

On October 12, 2019, Typhoon Hagibis made landfall on Japan. Although it was the 19th typhoon to hit Japan this year, it was the most powerful in decades. The typhoon caused significant damage, leaving dozens dead, severe flooding across numerous prefectures and tens of thousands of homes damaged. This report highlights some of the ongoing recovery efforts in Iwaki and the issues still facing communities affected by the typhoon. It is informed by interviews and field visits with staff of AAR, The People and Peace Boat in Iwaki city on November 11, 2019.

Early warning and evacuation

·         While early warnings through media broadcasts and neighborhood loudspeakers were extensive leading up to the typhoon, they were largely ineffective for residents living in the mountainous areas. Since the 2011 GEJE, the evacuation system has primarily focused on the use of loudspeakers along the shoreline. While coastal residents were informed, there were insufficient communication mechanisms to reach people who lived inland. Incidentally these were residents most vulnerable to the flooding from the heavy rains in the mountain areas. Media broadcasts focused on Chikuma river in Nagano where the flooding was happening during the daytime. Yet the flooding of the Natsui and Abukuma rivers, affecting Iwaki, Koriyama, Motomiya, Date was happened at nighttime and did not receive sufficient attention. Messaging and communication channels thus need to be contextualized and reinforced for the conditions that face different residents.

 

·         Eight years since the GEJE, people’s vigilance about preparations for disasters has significantly decreased. As one respondent said, “Our awareness used to be higher, but after 8 years everyone has forgotten. We were very very surprised and shocked by this disaster.” Generally people have a mentality of “it won’t happen to me.” Contributing to this was that rain levels in Iwaki were quite low. People did not expect the unprecedented quantity of rain in the mountain area above Iwaki, with 900 mm falling per hour, causing the nearby Natsui river to flood, and inundating towns below.

People didn’t expect the level, as the rain outside their windows wasn’t so hard. They were relaxing in their houses and the river flooded, and suddenly the water was so high. They just went to the second floor or on top of their roofs. Some spent the night on the roof.

 

·         The elderly were disproportionally affected by the disaster as evacuation notices came by SMS which did not reach them. Some did not have the capacity to evacuate. The representative of local NPO in Iwaki named ‘Minpuku’ is working to identify where elderly people live to ensure they are assisted during future evacuations. However, few of these towns have young people who can support such activities. Risk communication needs to also be linked to daily life activities – festivals or events – for people to have interest and attend. These activities are also critical for people knowing each other, where they live and making connections as a form of preparedness.

Issues facing affected people in Iwaki

·         Conditions in evacuations centers are still poor despite lessons from 2011 GEJE. Over 80% of people affected by the typhoon have opted to stay on the second floor of their damaged home or sleep in their cars. For disabled, the situation is even more difficult as the centers are not equipped to deal with their special needs. Elderly and disabled cannot move from their damaged houses.

·         For those with flood insurance, it has covered damage to the homes themselves, but not the materials inside such as their heaters, stoves, refrigerators, appliances or cars. Without their cars, people cannot get to work. Replacing these items, especially during winter, are some of the greatest needs facing people now. Some replacement materials have been donated, but the need is estimated to be twice as much as what was provided.

People can’t think about their future, just do what’s in front of them.

 

·         All of the kindergartens are closed and so parents have to stay home and care for their children until they are reopened.

NPO support to Iwaki residents

·         In Iwaki, there are fewer volunteers to support recovery than what is needed. This is partly due to the extensive media coverage of the      Chikuma river in Nagano, which happened in the daytime. Most volunteers therefore went to support affected people in Nagano. While the flood there was very serious, the flood      in Natsui and Abukuma rivers, affecting Iwaki, Koriyama, Motomiya, Datewas  was even more severe. Mud removal under the floors of damaged houses is anticipated to cause problems next spring when vegetation begins to grow. Without the support of volunteers, people are expected to fix their houses themselves, many of whom are elderly and are unable to do the job.

 

·         Organizations like AAR have expanded their activities to provide materials for disabled people who were affected as well as distribute hot meals to evacuation centers in Nagano prefecture and Marmori town.

 

·         There have been improvements in coordination since the GEJE. In 2011, it took nearly 2 months to set up an information sharing meeting. But after the typhoon there were more immediate opportunities to share information. Fukushima Renpuku (Fukushima Renkei Hukkou Center), for example,  was an intermediary organization for local NPOs that passes information to and from the government and has helped with information sharing in Fukushima. The NPO “The People” and Social Welfare Council of Iwaki city are also supporting information sharing.

 

·         The NPO, “The People,” has worked for 30 years in Iwaki to decrease trash by collecting used clothes and reselling them. With these proceeds, they are able to employ handicapped people to wash the used clothes, thereby creating a small work opportunity for them. Since the floods they have supported victims by providing clothes, towels and water to affected families. They have also provided food through a food bank to those in need. Half of the people who attend are men living alone.

 

·         Peace Boat is also supporting people who have opted to live on the 2nd floor of their homes instead of going to evacuation centers by providing clothes, food, water and sweets for children. About 60-70 people from the community visit the center each day. Volunteers from the community have come to help staff it. The salon run by Peace Boat has been an effective way for people to share information about what happened and what to do with their houses. For most people, this was the first time they have experienced this kind of damage and so don’t know how to repair their homes. This is a way they can share experiences and help each other with repairs.

Compensation levels for affected people

·         In Nagano, where the flooded Chikuma flood washed houses away, people receive higher compensation, can go to evacuation centers and are eligible for temporary housing. However in Iwaki where the flooding didn’t completely destroy homes, people are eligible to receive up to 600,000 Yen to repair their homes. These people can decide whether or not to go to evacuation centers, but many choose not to go to the official, government supported ones because technically they can still live in their homes. Affected people in Iwaki have established an informal evacuation center by themselves, supported by NPOs such as the JPF Alliance.

 

·         The varying compensation provided by the government has divided communities. Families received government compensation depending on the level of water, not the extent of the damage. Some believe this is a method of the government to divide people and better control them. Still, the compensation is insufficient to do the proper reconstruction that is needed. People have called for larger compensation to go directly to victims, not to construction companies which just “makes Tokyo rich but does not support the people who need it most.”



 

「共に生きる」ファンドのモニタリングで米沢市と郡山市を訪問(JPF東日本大震災被災者支援)

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こんにちは!JPF地域事業部(東京事務所)の山崎です。 

 

JPFでは、約10年にわたり、海外事業、緊急対応、そして、渉外などを担当してきましたが、20198月からは初めて地域事業を担当することになりました。いわば最古参の新人です。地域事業部では主にJPF東日本大震災被災者支援の「共に生きるファンド(以下、「共生き」)に関する事務作業を東京事務所で行っています。共生助成事業の事業内容の変更の調整や実施状況のモニタリングのためにときどき出張もしています。 

 

少し前になりますが、8月の終わりにも山形県米沢市と福島県郡山市に出張しました。JPF東日本の福島担当と、「共生き」助成事業のモニタリング業務を委託している「ふくしま連携復興センターのスタッフの方に同行です。 1日目の道中、道の駅 米沢で昼食。米沢と言えば自分の頭には真っ先に「米沢牛」が思い浮かびますが、米沢牛ステーキは手が出ないので、今回は、米沢牛カレー。

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おなかが満たされた後、「共生き」助成団体の一つ「青空保育たけの子」の活動拠点におじゃましてまいりました。 青空保育たけの子さんでは主に、福島の被災者や米沢に避難した家族に週末などにゆっくりしてもらえるよう、また、子どもたちが自然の中で遊べるよう、米沢で活動を行っています。 「共生き」では、古民家を利用した宿泊施設の運営体制の整備や、「冒険遊び場」の整備、運営に対して助成をしています。 今回の訪問では、宿泊施設にカフェを設置したということで、それも見させていただきました。 

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カウンター席で6席程度のお店は、8月末のプレオープンの時にはカレーやコーヒーなどを準備しているとのことでした。今後も来園者にゆっくり楽しんでもらえるよう、設備やイベントプログラムなどを充実して行っていただければと思います。 

 

翌日は福島県郡山市の「しんせい」に行ってきました。 

しんせいさんでは、主に東日本大震災で被災した障がい者の方々の就労支援活動を行っています。企業や他のNPOと連携して、お菓子やバッグといった様々な製品を生み出しています。 

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「共生き」の助成では、仮設住宅の生活実態調査や支援状況の確認、団体運営基盤強化のためのスタッフの能力強化などを行っています。SDGsの“誰も取り残さない(Leave no one behind)世界”の実現に向けて活動を続けていただければと思います。 

 

JPF 山崎久徳

JPF東日本大震災被災者支援:福島広域こころのケアネットワーク

 

ジャパン・プラットフォーム(JPF)の山中です。

 

今回のブログでは、NPO法人みんぷくによるレポートを紹介させていただきます。みんぷくにはJPF連携調整事業(ネットワーク形成等)や福島の浜通りにおける地域力強化事業などの中間支援活動を担っていただいております。今回は復興支援の課題の一つである「こころのケア」に関するセミナーについて、是非ご一読ください。

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こんにちは。JPFから「東日本大震災連携調整およびモニタリング事業」を委託されておりますNPO法人みんぷく(以下みんぷく)の鵜沼と申します。

 

今年7月から「福島広域こころのケアネットワーク」の活動が始まりました。これは、東日本大震災後、南相馬市で認定NPO法人 相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会(以下なごみ)と認定NPO法人 世界の医療団(以下MdM)が行ってきた心のケア活動を福島県内に広めようと立ち上がったネットワークです。心の傷害は誰にでも起こり得ることであり、健康的で文化的な生活を送るために、住民自ら心のケアに取り組む姿勢が大切であると考え、福島から心の課題に取り組もうとする方々が繋がり合い、専門家とも繋がり、協力し合いながら、新しい心のケアをコミュニティレベル、住民レベルに浸透させ、セーフティネットを広げようと活動しています。

 

運営委員会は、なごみ、MdMF-ACTORの会、一般社団法人ふくしま連携復興センター、JPF、みんぷくで構成され、月一回程度のミーティングを重ねてきました。そして1127日に第一回目のイベントとして「福島発みんなでつくる新しいこころのケア」のセミナーを開催しました。

 

1部では、DMATとして熊本地震の被災地で医療支援活動をし、西日本豪雨ではNGOとして復興支援をし、その後福島県の双葉郡で薬剤師の健康支援事業をしている薬剤師の尾形知美氏に基調講演をしていただきました。前半は岡山県真備町での活動の中で、当時「心のケア」と意識してやっていた訳ではないが、振り返ると心のケアになっていたということを話していただき、後半は双葉郡の医療不足の問題について話題提供してもらいました。東日本大震災前は31の薬局がありましたが、現在では3店舗のみで、住民さんは薬をもらいに遠方まで行かなければならない不便な生活を送っています。子どもの薬を置いていない薬局もあり、体調を崩した子どもを連れて長時間車を走らせなければいけないため、小さなお子さんをもつ親にとっては過酷な現実です。

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2部では「拡大パネルディスカッション大会」と題し、福島県内で心のケアに何かしらの形で関わっている団体に声掛けしたところ、16もの団体が参加してくれました。「会話が生まれ、笑顔が生まれる、交流会自体が心のケア」「(賠償金等の)多額のお金をもってしまったからこそ出てくる悩み」「親の不安は、子どもに伝染する」「若者同士の飲み会が心のケア」「農業を通して心のケア」「傾聴、そばに居続けることを大切にしている」などなど、各団体の普段の活動の中での「心」に関する話がたくさん出てきました。今後期待する事としては、相談できる関係がほしい、どこに繋いだらいいか、などの連携に関する事、そして福島の現状を伝える、発信のことなどが出てきました。

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初めてのイベントで運営委員会のメンバーはどれだけの人が集まってくれるか心配でしたが、当日は16団体ものパネラーが集まるという嬉しい想定外があり、また参加者からもこれだけの団体が集まる場というのは滅多にない、是非第2弾、第3弾も!と感想をいただきました。

 

「心のケア」と聞くと、専門家がやるもの、専門家しかできないものと捉えられがちですが、専門家でなくてもできる心のケアがたくさんありました。被災地には必ず付いてくる心のケアの課題ですが、小さなことから取り組めるし、誰でも取り組めるのです。この活動の輪が広がり、心のストレスが少しでも軽くなるような社会ができることを祈っています。

JPF東日本大震災被災者支援:ふくしまで生活困窮者問題について考える~ふくしまお隣り絡まり寄り添いネットワーク~

こんにちは!ジャパン・プラットフォーム(JPF)地域事業部の山中です。

今回のブログでは、一般社団法人ふくしま連携復興センター(以下「れんぷく」)によるレポートを紹介させていただきます。

「れんぷく」にはJPF連携調整事業(ネットワーク形成等)や福島の被災地支援における地域力強化事業など、県域の中間支援活動を担っていただいております。今回は福島の課題の一つである「生活困窮者支援」に取り組むための勉強会について、是非ご一読ください。

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昨年度より「れんぷく」はJPFと共に、福島に残された課題のうち「生活困窮者支援」にも対応しようと模索してきました。浜通りいわきに拠点を置くNPO法人みんぷくとも連携・協働し、災害起因による生活困窮者支援の在り方と先駆的な事例について学びを重ねながら、支援者間のネットワーク形成に向けて準備を進めて参りました。 

福島県を取り巻く災害起因の生活困窮の状況は、非常に複雑です。東京電力福島第一原子力発電所事故により避難を余儀なくされた被災者向けの各種支援策(家賃補助や東京電力からの賠償等)も減少傾向にあります。県内外・広域においては、新しい生活環境等により、未だ心身・経済面共に安定していない生活を送る被災者が数多く点在しています。さらに今後、中長期的に生活再建や居住環境整備に課題を抱え、生活困窮状態に陥る方々が増えることが想定されています。このような状況を少しでも軽減できるよう、各種支援策の終了によって生じる課題の包括的な対策が急務となっています。 

今後の生活困窮者支援において協力できる関係づくり、被災者の生活困窮に関わる支援者間のネットワーク形成や相互理解を目指し、勉強会を開催することになりました。 

1回目は、2019920日(金)に福島市内で「ふくしま~お隣り絡まり寄り添いネットワーク形成に関わる勉強会」と題し開催しました。福島県内のNPO等や行政などを含む、12名が参加してくださいました。第1回目は、福島県社会福祉協議会(県社協)の生活自立サポートセンター相談・就労支援員の渡部葉子さんと、二本松市を拠点とするNPO法人福島やさい畑~復興プロジェクト(以下、福島やさい畑)の理事長を務める柳沼千賀子さんのお二人にご登壇頂き、日頃から取り組まれている生活困窮者支援についてお話いただきました。 

渡部さんからは、県社協が取組んでいる事業や各種支援施策、事例についてお話をいただきました。渡部さんは日々の業務に取組む中で「一度生活困窮状態から脱出できても、再び生活困窮に陥ってしまうケースもあるため、あまり気負わないように心掛けている」と話されました。他に「支援する側や専門家(プロ)は、常に謙虚に自分の支援を振り返り学ばなければならない。また深刻さではなく、楽しさにいつもヒントがある」と、ご自身の体験談も交えてお話いただきました。 

次に、福島やさい畑の柳沼さんより、①農家支援活動、②被災者支援、③フードバンク事業についてお話いただきました。「フードバンク事業」では、事例を交えながら、直面している課題や支援対象者が抱えている個別問題等についても触れていただきました。「生活困窮者」と言っても、何処誰がその状態に陥っているかは、団体として把握することが困難であるため、二本松市社協や大玉村社協と連携して、対象者に配布する形を取っているとのことでした。行政側にもNPO等の民間側にも限界があるため、フードバンク事業のみならず、多種多様な事業において、それをお互いにうまくカバーし合える「体制」を創ることを目標にされているとのことでした。

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この「生活困窮者問題」は、今後ますます深刻になることが予想されています。想定される早急に解決しなければならない課題に対し、多種多様な機関が連携しながら支援体制を構築できるネットワークを形成できるよう、引き続き準備に取組んで参ります。 

なお、第2回目の勉強会は、20191211()に福島市内で開催予定です。 

ふくしま連携復興センターJPF連携調整事業担当

▼ふくしま連携復興センターのウェブサイトはこちら
https://f-renpuku.org/