2012年12月31日をもって約3年間に亘るジャパン・プラットフォームによるハイチ地震被災者支援が終了しました。
プログラムの最終評価のため、1月4日から15日までハイチに渡航しました。ハイチ地震の発災から3年目にあたる2013年1月12日、首都ポルトープランス(以下、PAP)郊外ティタネンにある共同墓地で行われた追悼式に参加しました。
ティタネンまでの道は、首都の喧騒と雑踏を抜けると、驚くほど綺麗で青い海がキラキラと輝いている沿岸を走ります。海の反対側には、だだっ広い丘にポツポツとまだテントやトタン板とビニールシートの家で暮らしている人々が多く見られます。地震から3年たった現在でも、キャンプ暮らしをしている人は35万弱です。震災前からこのような暮らしをしている人も多いことから、数字を見るときには少々ハイチの背景を考慮に入れる必要がありますが、彼らの生活はまだまだ十分に満たされているとは言い難いことに変わりはありません。
共同墓地ではこの日、様々なグループが追悼式を行うようです。朝早くにマーテリー大統領とクリントン国連ハイチ特使が参加した式典が行われ、私たちが見学したのはその後のカトリック系団体によるものでした。その後にはボーイスカウト一団が控えていました。
式典は司祭による祈りと参加者の歌と踊りで、1時間ほどでした。見物人は私たちの他に20人ほどと意外とこじんまり。近くにいたハイチ人夫婦に話を聞くと、娘さんを地震で亡くし、去年もティタネンの追悼式に参加したが、今年は参列者数が大分少ないとのこと。ちなみに現地ドライバーや通訳に、「震災のあった1月12日には毎年何か特別なことをするのか」と聞いてみても、特に何もしないとのことで、家族や親戚をなくしていない人々には、淡々と日々の営みを紡ぐなかの一日に過ぎないのかもしれません。
阪神淡路や東日本大震災でも言われているように、記憶の風化というのは国は違えども課題なのでしょうか。PAPのあちこちでも“1月12日を忘れない“と書かれた横断幕が掲げられていました。
震災で半壊した大統領府が最近ようやくショーン・ペンの財団基金で解体されましたが、倒壊したポルトープランス大聖堂は資金不足で解体できないためか、震災直後の姿を留めており、幸か不幸か、負の遺産としてPAPに今も残されています。
ジャパン・プラットフォーム 早川
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